本文に移動

[世相を読む] 朴槿恵の‘化粧映え’/金東椿(キム・ドンチュン)

登録:2012-07-10 12:46 修正:2013-01-29 10:18

原文入力:2012/07/09 21:36(1738字)

←キム・ドンチュン聖公会大社会科学部教授

 言葉とスローガンの聖餐が整えられている。 皆が社会的弱者のためにと語っている。 庶民の暮らしが難しくなると、進歩政党の議題が民主党の政策になり、民主党の政策がついには与党候補のスローガンとして登場する。 政党と候補の驚くべき変身に目が眩みそうな状況だ。 ところで私たちはもっともらしい公約とスローガンがどれほど票を貰うためのトリックでありうるのか、李明博政権を体験してすでにはっきり分かった。 李明博自身が話したように「選挙の時ならば何か言えないことなんてあるだろうか?」それでも、依然として人々は化粧した顔、仮面をかぶった顔にだまされてしまい、バラ色公約とスローガンに揺れ動く。 指導者の‘生魂’を知れる方法がある。 これは昔から東西の聖人が話してきたことで全然新しいものではない。

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/541714.html

 第一に、言葉より行動を見なければならない。 選挙を意識した行動ではなく過去の行動、特に若い時期の行動を見なければならない。 人の思考と行動は若い時期にほとんど決定されて、なかなか変わらないものなので、未来を知るためには過去の行動ほど良い参考資料はない。 第二に、意見が尖鋭に交錯する事案でどんな立場を示したかを見なければならない。 明確に利害関係が衝突する事案に対して‘国民全て’を語るのは概して虚構だ。 第三に、その当事者を見るよりは近くに誰がいるかを見なければならず、誰が主に彼を支持しているかを見なければならない。 友人や側近がまさにその人を物語るということだ。

 何よりも過去の若い時期に私益より公益を前面に掲げたかが最も重要な判断基準だ。 ところで候補者が公益云々するからと言って、それをありのままに信じてはならない。 言葉だけで見れば過去に公安事件を担当した判検事ほど国家、公益をまくし立てた人はいない。 ところで実際にはどうなのか? 司法試験勉強の動機が概してそうなのであるが、在任中にも権力の要求に忠実で、退任後にもあらゆる前官待遇の甘い水を丸ごと享受していないか? 韓国で公益を追求しようとするなら、力がある勢力を批判しないわけにはいかず、それは大きな危険と不利益をもたらしうる。 その程度までの自己犠牲とはいかなくとも、公益のために時間と金を使ったことがあるか、実際に弱者を代弁する仕事をしたかを見れば良い。

 70年代式の国家安保思想を持つ朴槿恵与党大統領選候補が、今になって経済民主化が時代のイシューとして登場するや、それを掲げて‘未来勢力’であることを自認しようとしている。 私はここで父親が強奪した正修奨学会理事長として10年間在職して多くの年俸を手にしたことには言及しない。 彼女はかつてハンナラ党代表として数多くの経済改革事案が国会で大きな議論になった時、その中心にいたし、また、李明博政権でも一貫して最も影響力のある与党議員であった。 党代表として、そして2007年与党大統領選候補として彼女は直接、租税減免法案を提出したりもしたし、‘規制ゼロ’政策を推進した経緯がある。 李明博政府とハンナラ党が企業型スーパーマーケット(SSM)の規制法案を無にする時、与党のもう一つの派閥指導者である彼女は批判の一言も言ったことがなく、財閥による中小企業支配、公正取引委員会の不公正な大企業庇護があれほど問題になった時も沈黙で一貫した。 その上、今彼女の最側近には‘減税・規制解除・法秩序確立’を主張した専門家、三星(サムスン)の顧問など、経済民主化の正反対に立っていた人々が布陣している。

 彼女が労働者や貧民の境遇にどんな観念を有しているかは問うまでもないことだろう。 経済民主化は選挙スローガンとして掲げられる程度のたわいのない価値や政策ではない。 ところが朴槿恵がそれをするという。 どのように受け入れるべきか?

キム・ドンチュン聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授

原文: 訳J.S