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追い出された教師たちと偉大なバカたち

原文入力:2009-03-20午後07:25:52
時代を読む文学/
米国がまだしも健在なのは不道徳が極に達する時ごとに人々の良心を醗酵させた絶対的に善良な少数がいたためだ。米国のメキシコ侵略に抗議して納税を拒否し監獄生活をしたヘンリー・デビッド・ソロは「ひとりでも不当に閉じ込める政府の下で義に徹した人がいる所は監獄だ」と話したが、今私たちの現実に照らしてみればそれはもしかしたらろうそく集会現場だとか撤去民の望楼なのかも分からない。

すべての人々がみな善良な社会といいうのはないだろうが、どの共同体でも破滅しないためには少数の義人が社会のどこかにいなければならない。大多数がいくら不道徳であっても、時流を意に介さず季節について土地を世話し、子供たちを教えて、良心に従って行動できる人々がいなければならない。ヘンリー・デビッド・ソロが‘市民不服従’で米国の奴隷制廃止を主張して話したように、「多くの人々が善良になるのは重要ではない。それよりはただの数人でも絶対的に善良な人がどこかにはいることの方が重要だ。なぜならこの人たちがまさに全体を醗酵させる酵母であるため」だ。米国が去る200年間、反倫理的な奴隷制やマッカーシズムの狂気,投機資本主義の貪欲にもかかわらず、それでも健在なのは腐敗と不道徳が極に達する度ごとに、人々の良心を醗酵させた絶対的に善良な少数がいたためだ。権力にもお金にもならない人跡珍しい危険な道に何の私心もなしに歩んで入った偉大なバカたちがいたためだ。もし大多数の私たちが今少しでも人間らしく思索し愛し尊重されて生きているならばそれは私たちの社会にもこういう少数のバカたちがいたためだ。

昨年12月父母たちに一斉試験の選択権を与えたという理由で7人の教師たちが罷免または解職されるという事件が発生した。皆が金持ちにはなれないように、全員が一等にはなれなくて、多数の敗者がいない勝者はありえないということを、あまりにもよく分かりながらも大多数の人々は今の不道徳な教育政策に順応しようと考えた。しかし少なくともこの7人の教師たちは「違います」と言って良心に従い正義の道に歩み入ることを決心し、人間らしく生きるために子供たちが本当に習わなければならないことは教科書や学習誌ではなく何よりも一斉試験では子供たちの純潔な魂をとうてい守ることができないということを社会に対し明確に話そうと思った。結局、彼らに対して教員請願審査委員会は解任を最終宣告することによって私たちの社会が実際にどれほど不道徳なのかを天下に表わした。セクハラ教師や暴力教師さえ再び受け入れる教壇から彼らが追い出されなければならないということは、私たちの社会が人の道理や徳行にはどれほど無関心なのかを間違いなく表わすのみだ。魂のない先生ら、魂のない官僚ら、魂のない専門家たちだけが残るならば、そのような社会でどうして人々がお互いを尊重する完全な人生を営むことができようか?

米国のメキシコ侵略に対する抗議の意思表示として納税を拒否し、自発的に監獄生活をしたソロのように、リ ホイナキ(Lee Hoinacki)もベトナム戦争を始めた米国の不道徳に対する抗議の意思表示として博士学位課程を中断しベネズエラに自発的亡命を強行した。彼は以後、再び米国の大学に戻り結局定年保障教授になったが、魂のない大学の現実に絶望しついに教授職を捨て田舎に入り農夫になった。彼の本<正義の道をふらふら行く>は地上での‘良い人生’を実行するためにホイナキがふらついて求め歩いていった偉大な道に対する話でいっぱいだ。彼は人間の徳行を遮るすべての体制に対して“違います”と話した後、自発的に自身の忠誠心を違うものに捧げることにした。それはまさに土地であり,隣人であり、詩であり,友情だった。その道はかつてソロが先に行った道でもあった。ソロもやはり大学を終えた後、故郷へ戻ってきて貧しい隣人たちと共に暮らし人間の尊厳性と高潔性を守るために不道徳な社会に抵抗したためだ。ソロは「ひとりでも不当に閉じ込める政府の下で義に徹した人が真にいる所はやはり監獄だ」と話したが。今の私たちの現実に照らしてみればそれはもしかしたら、まさにろうそく集会の現場だとかでなければ撤去民の望楼なのかも分からない。

一度はホイナキがインドを旅行したことがあった。ガンジーの弟子たちに会いに行った旅行で、この初めての旅の旅人は内心心配が多かった。案内表示板すら探すのが難しく、汽車はいつも延着するが案内放送さえ珍しい異国の見慣れない駅で、ひょっとして道に迷いはしないだろうか、車をのがしはしないだろうかと思って。だが彼が助けを必要とする時ごとに、汽車で会ったインドの人々は間違いなく善行を行ってくれた。騒々しい人波をかきわけて次の駅まで連れていってくれたり、切符を代わりに買ってくれたり、素朴な朝食を分けてくれたりもした。他の人に対する私心のない関心と親近感はインドの民衆たちが無償で施す贈り物だった。それはホイナキがいわゆる先進国を旅行する時には一度も経験することが出来ない徳行だった。いわゆる先進国であるほど、競争的成長論理に捕われたところであるほど、それで人間がパンのみで暮らせると信じる社会であるほど、人間的高潔さに対して冷笑があふれるところであるほど失礼な場所になっていた。それでホイナキはこのように決心した。「私に明確に開かれている一つ行動の可能性は‘違います’ということだ。いいえ、私は静かについて行きはしない。いいえ、私は服従しない。これは今日人間らしく、できるだけ自律的に高潔に生きていくために絶対的に必要なことかもしれない。こういう決定は明確に話さなければならず、毎日話さなければならない。それが真正なことになるために、私には規則的な省察、すなわち私が何を拒否し私がまだ何を受け入れ、何にやむをえず耐えているかを見回すために私には私自身の中に入る静寂の時間が必要だ」と。

←パク・ヘヨン/仁荷(インハ)大教授(英文学)

今、私たちは難しい時代を生きている。子供たちは過酷な競争教育で心に傷を受けていて、大人たちは家と職場を失わないだろうかという不安と恐れの中であらゆる社会的不正と腐敗に対し勇気をもって対抗することができずにおじけづいたまま生きている。だがいくら不道徳な社会であっても、しつこく“違います”という少数の偉人たちが存在するならば、いつかは大多数の人々の干からびた良心が目覚める日がくるだろう。

パク・ヘヨン/仁荷大教授・英文学

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/345295.html 訳J.S