原文入力:2012/03/15 19:34(2057字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
ここ数日間、私たちの世論空間は「海賊」政局を迎えた。「高大女」キム・ジユン氏が海軍の強行している済州海軍基地を「海賊基地」と表現すると、海軍と一部の極右政治家が彼女を告訴するといって大騒ぎしている。その理由は、「海賊」という表現が「海軍の名誉を失墜させ海軍を侮辱した」ということだ。「市民をぶんなぐる海軍は海賊にまちがいない」と言ってキム氏に加勢した作家・孔枝泳(コン・ジヨン)も極右主義者たちの攻撃に晒されざるをえなかった。軍事化した男性には、軍に対する直説的な表現を「軍隊に行かない」、しかもかなりの年下の女性から聞くことが苦痛だったようだ。ところが、今キム氏を告訴する人々はマッチョな気質から一時でも離れ、一度くらいは省察してみてほしい。「侮辱」ではない「比喩」としての「海賊」とは、もしかしたら私たちが迎えている状況の総体的な本質をそのまま表す文学的な表現として適切ではないか。
国家も、海賊などといった私たちが通常「不法」と理解している民間の武装集団も、基本的に暴力機構たちなのだ。「国家」の社会科学的な定義の核心は、「合法的な暴力を唯一独占する機構」にすぎない。だとすれば、国家は「合法」、海賊は「不法」になる理由は何か。海賊と違い、国家は少なくとも原則上は「公益的な目的」のために存在するという、公共性があるという点が主な相違だろう。もちろん、私たちの知っているすべての資本主義の国々は窮極的に支配層の階級的な利益に合わせて政策を立案・推進するものの、近代的な自由民主主義国家であれば、少なくとも多数の認める公益との目に見える衝突は避けようとする傾向はある。
ところが、済州海軍基地事業の場合は、多くの面において社会が通常認めている共益を露骨に害している。第一、中国経済の中心地である上海からわずか490㎞離れた地点に米軍が使わないと保障もできない海軍基地を新設することが中国の軍部を刺激するという点は火を見るよりも明らかなことで、中国の軍費拡充に影響を及ぼすことはほぼ確実だ。それだけ韓国の軍部も軍費を一層増やす大義名分を得るだろう。消耗的な軍備競争の加速化は、果して韓中双方の民衆にとって共益なのか。第二に、自然保護区域から直線で3㎞しか離れていない保存価値の極めて高い自然景観を爆破することは自然に対する明白な犯罪行為なのだ。第三に、反対する住民たちの世論を無視し土地を強制収用するということは、地域社会の共益を致命的に害する権力の濫用に当たる。結論を一言で言うと、キム・ジユン氏を攻撃する前に、江汀マウルであらわになった大韓民国の国家権力の水準は果して「海賊」、すなわち公益性を欠いた暴力集団といかほど違うのか、国家権力者と軍首脳部が先に自省しなければならないと思う。
韓中の民衆の軍費負担を加重させ、自然と地域社会を破壊する今回の「江汀マウル事態」からは、その一方で希望の光も見えてくる。実は、私たちの市民社会が今回初めて軍部の安保主義の論理と正面対決することができた。振り返ってみれば、分断という現実により「安保」が国是以上の国是、絶対価値になってしまった状況においては、兵営国家南韓の市民運動はたとえ軍事独裁とは闘争しても、長い間安保主義の論理との直接闘争などは考えも付かなかった。犯罪的なベトナム派兵を咸錫憲(ハム・ソクホン、1901~1989)・李泳禧(リ・ヨンヒ、1929~2010)先生などの一部の志士たちが反対しても、野党は反対の声を上げることができなかった。1970~80年代に大学における軍事教錬反対運動と前方入所(訳注:前線部隊入営体験訓練)反対闘争などはあったものの、アメリカの覇権戦略と民衆抑圧の道具になった軍隊に初めから行くべきでないと主張する学生活動家はいなかった。運動圏ですら「国家の安保は神聖だ」という命題に正面から立ち向かうのは難しかったのだ。2000年代に入り非宗教的な兵役拒否者運動が本格化したとはいえ、まだ代替服務制度さえも勝ち取れないほどに安保主義が支配している環境において、運動勢力は弱いままだ。しかし、今回江汀マウルを守っている人々は朝鮮半島とその周辺の民衆たちの共益を害しようとする安保主義の論理に本格的に挑戦状をたたき付けた。そうすることにより、やがて私たちが兵営国家の解体作業に取り掛かることができるのではないか。
*朴露子教授が進歩新党の比例代表候補に出馬することになり、今回のコラムを最後に筆陣から外れます。ここ10年近く朴教授のコラムを愛読してくださった読者の皆様に感謝いたします。
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/523691.html 訳J.S