原文入力:2009-03-16午後09:26:45
←パク・ノジャ ノルウェー,オスロ国立大教授・韓国学
1970年11月13日、チョン・テイルの焼身は韓国現代知性史の分岐点となった。‘民族中興’の幻想に浮き立ち、労働者たちの苦痛をただ‘近代化’のために払わなければならない当然の代価と考えていた多くの知識人たちは“我々は機械ではない!”の叫びを聞き、民衆の血涙でなされる‘近代化’の真の姿を知った。ハム・ソクホンがチョン・テイル焼身を契機に労働運動こそ‘種’たちの最も本格的な動きだと思い、アン・ビョンムはチョン・テイルの肉体を燃やしてしまった火の中に韓国のイエスを見た。一人の無名の労働者の死がこの国の知性界を変えた。わずか39年前のことだ。
‘民族中興’のような用語がすでに笑い話になった今日の民主化された世の中では、社会が抱かせた苦痛に始まった一人のの死は原則上独裁時代よりはるかに重く受け入れられるべきではないだろうか? 支配者たちが‘先進化’を常に語る所では、生命の価値もそれだけ高まらなければならないのではないか? しかし、現実はその正反対だ。労働者たちの大量非正規職化と信用不良者量産とで”外国為替危機克服”の欺瞞劇が演出された新千年初期から輸出と土建中心の奇形的な韓国経済がいよいよ史上最悪の危機に直面した今日まで、大韓民国で数十人の貧乏人たちが示威途中に殴られて死んだり、投身・焼身で死んだり、警察の殺人的‘作戦’によって炎に包まれて死んだりした。龍山惨事犠牲者たちの顔は今も記憶に生々しいが、その他にも生存権闘争に立ち上がった民衆たちは2000年代続けて死んで逝った。2005年11月15日、ソウルの真中でデモ鎮圧過程で警察から受けた重傷が基で亡くなってしてしまったチョン・ヨンチョル,ホン・トクピョ農民を私たちはすでに忘れたのか?2006年7月16日、浦項でデモを行い死んだハ・チュングン労働者をすでに忘却したのか? 2004年2月14日に非正規職差別撤廃を要求する遺書を残しチョン・テイルと同じように焼身自殺した現代重工業下請業者所属のパク・イルス烈士のように非正規職の要求を力いっぱい叫ぶために苦痛な死を選んだ人々も少なくなかった。70年代と全く同様に労働運動の歴史は血で書かれている。
だが驚くべきことに、消えてしまった彼らの生命に対して‘主流社会’は70年代よりはるかに無関心だ。冷たい遺体になってしまった農民・労働者たちを見て、‘参加政府’に対する支持を撤回した有名自由主義的知識人は果たして多かったか? パク・イルス烈士のような非正規職の死は、非正規職を最も悪質的に量産する財閥の商品不買運動としてでも続いたか? 大学で安定した席を占めた知識人や市民社会‘主流’の労働者・農民に対する無関心は実に驚くべきだ。多数の知識人たちが自らも貧しかった70年代とは異なりアパート一戸と正規職を持っている今日、中産層知識人が下層労務者と完全に別の世の中で生きているからそうなのか? 階級分化が本格化し、中産層と下流層が徹底して分離したことで‘下流人生’の苦痛は‘市民階層’にとって他人事になってしまった。
しかし2000年代のチョン・テイルたちに無関心な彼らにも記憶しなければならないことがある。大恐慌時代にあって永遠の正規職も永遠の中産層も存在しないということだ。たとえ本人は中産層として残ろうが、‘88万ウォン世代’に属するその子供たちが‘下流人生’を免れられる保障はない。私たちが‘底辺’の苦痛に関心を失い‘自分だけの人生’を楽しむことを選べば、無関心という名前で私たちが加える暴力は結局ブーメランのように戻ってきて私たちを打つだろう。とても痛く。
パク・ノジャ ノルウェー,オスロ国立大教授・韓国学
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/344475.html 訳J.S