原文入力: 2012/02/03 07:06(1863字)
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
私は実は今ブログを書く立場にはありません。今日また急に酷いインフルエンザにかかり、ほとんど手を動かすこともできないほどです。「病休届け」を出そうかとも思ったのですが、いくら辛くてもどうしても公開的に指摘しなければならないことがあり、こうしてベッドに入る前に少しだけでも書こうと思います。書かなければ眠れそうにありません。ブログで心中を残さず語ることも一種の薬ではないでしょうか。
先日検察がキム・ジンスク先生に1年6ヶ月を求刑するというニュースに接しましたが()、やはり予想を裏切らないものですね。彼らはヤクザに間違いないのです。実はわが国で最も人気のある映画ジャンルはメロとヤクザ映画でしょう。メロは、家父長的な残滓が多く、魂のない極端な資本主義社会の生活でやむを得ず起きる葛藤を興味深く描きます。子供を出世させ財産を増やしたい一念で生きる夫婦間の愛情の冷却化と葛藤、「仕事」が人生のすべてになって夫婦仲が乾いていき無意味になる状況で常に発生する様々な出来事、財産や「自尊心」をめぐる世代間の葛藤等々、一言でいえば、不安で息苦しい社会の日常です。メロが家族中心であるのに対し、ヤクザ映画は「仕事」の世界を扱っています。登場するのはヤクザですが、実際に表しているものは、この国で組職生活が作動する方法です。うまくコネを見付けてあまり目立たないこと、ボスに忠誠を誓いながらも利に聡くなれ、あまり薄情にならないようにする、その代わり情に惑わされ損をしないこと、あなたを傷つけたライバルの弱点を見付けて容赦なく仇を討つこと……。ヤクザのみならずかなりの財閥も概してこのように動いています。ただし、財閥組職における復讐といえば、陰謀と左遷、リストラ程度なので、あまりおもしろくありませんが、ヤクザ世界の血生臭い敵討ちは観客をすっかり魅了します。つまり、このジャンルは「韓国映画」を代表するといってもいいほどです。朴贊郁(パク・チャヌク)の復讐シリーズなら -ヤクザ映画の典型とは言えないものの、やはり敵討ちをテーマとしています-これを見ずして大韓民国は語れないでしょう。
つまり、今現在大韓民国の検察がキム・ジンスク先生にしでかしていることはほとんどヤクザ世界の復讐劇のようなものです。キム・ジンスク先生と宋竟東(ソン・ギョンドン)詩人などをはじめとした希望のバスに乗った多くの民草たちの超人的な力により大韓民国の最近史においてほとんど初めて財閥が「労働者」、「民衆」の前で一歩退きました。横暴を振るったものの、結局は敗北を認め一歩退いたわけです。これは希望のバスだけの勝利でもなく、私たち皆の勝利です。弱者たちが顔を上げて連帯し、一緒に発言して全国的な、全人民的な注目をひくようになった、ある新しい歴史の始まりなのです。そして、キム・ジンスク指導委員は自分の命を賭けて闘っていたのであり、誰かにいかなる物理的な危害も加えたことはありません。その同志たちは用役やくざに頻繁に殴られたにもかかわらずです。そのようなキム・ジンスク先生を監獄に入れようとすることは、結局持てる者たちの持たざる者たちへの「復讐」ではあれ、「司法」とは何の関係もありません。大韓民国の「主人」たちはヤクザ水準の彼らのメンタリティを再び世界中に露見してしまいました。また検察の「言葉」の中には、「被告人の長期にわたる篭城で会社の業務を麻痺させ、会社のイメージを失墜させた」とあるのは、「ヤクザ映画」というよりはコメディ・ジャンルに当たるでしょう。首切りをやらかしてフィリピンで「死の工場」を建て、現地人たちを殺人的にこき使って、これ以上失墜される「イメージ」などあるのでしょうか。
熱のせいか、酷い頭痛でこれ以上は「物理的に」書けません。一先ず結論を述べると、「司法」の仮面をかぶったヤクザたちは今私たちの希望を踏み躙ろうとしています。しかし、最早目覚めた民衆を再び眠らせることはできないでしょう。
原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/40876 訳J.S