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[朴露子ハンギョレブログより] 子供たちを殺す社会(3896字)

http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20111229800001

朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

 生き残った者の悲しみという、ほとんど陳腐な表現がありますが、最近大邱の中学生「いじめ自殺」事件()を見て、その表現の本意について改めて考えさせられました。私を含む「我々」はこの死が発生し得る「背景」を提供しており、それだけにこの死に対する重い責任を負わざるを得ないということが、たった今私を捕えて離さない強い気持ちです。ところが、その死は「ニュースのネタ」になり多くのメディアによって商業的に利用されているにも関わらず、私たちは自らの責任を反省するどころか、原因の分析さえもまともに行っていません。こうすることによってこれと同じ死を再び呼んでいるのです。私たちが肝に銘じなければならないことは、大統領をあきひろ(明博)から柳時敏(ユ・シミン)などのブルジョア自由主義者に入れ替えることは案外容易いことかもしれませんが、数十万ないし数百万人の子供たちをいじめている加害者たちを悔い改めさせることで加害/被害関係を解くことは難問中の難問という点です。 双龍(サンヨン)自動車の労働者たちをあきひろが死に追いやろうが柳時敏が死に追いやろうが、この体制は本質的にはまったく変わりはしません。ところが、子供たちの間の加害/被害関係はこの精神病的な体制の病理的な本質と直結しているだけに、いかなる社会的「薬」を使っても直すことは難しいのです。「手術」が必要です。金泳三(キム・ヨンサム)翁の1996年の「学校暴力追放」キャンペーンから現在に至るまでの政権の政治家どもは、学校での死の行列を止めさせると約束することで政治的資本を着実に蓄積した結果は?当然ながらゼロです。南韓のような社会で学校での死を止めるのは、拷問室で拷問被害者の肋骨が折れないようにすることくらい大変なことです。肋骨を守るためにはとりあえず拷問室そのものを撤廃しなければならないように、私たちの社会の慢性的な病理も同じ論理で捉えなければならないようです。

 悲しいことですが、搾取、貧困や軍事化などに染まったあらゆる社会では子供たちが暴力化する傾向があります。子供たちは大人を見て育つからです。私が成長した旧ソ連では、南韓と同じ概念の搾取(個人資本家による剰余価値の収奪)はなかったものの、相対的な貧困と軍事化、そして幹部層と一般人の間の権力享受ないし生活水準の差が存在したため、子供社会の暴力もなくはありませんでした。私も力のある友達に殴られることは日常茶飯事でした。しかもそのことが原因で学校に行きたくない日々もかなりありましたが、登校が「小さい人民の義務」になっていた社会では「登校拒否」という概念が存在せず、そんなことなどは思っても見なかったのです。にもかかわらず、私もそうでしたし私が数多く見てきた他の腕力の弱い暴力被害者たちもそうでしたが、自殺なんて微塵も考えたことがありません。逆に「力の関係」で弱者に追いやられればやられるほど、負けん気が強くなり、もっと熱心に本を読みサークル活動にも積極的に参加し、成長したら社会主義祖国の良い科学者になり党と人民のために働く夢を一層強く抱きました。私や当時私のような境遇に追いやられた他の暴力被害者たち(その中の多くはユダヤ人ないしドイツ人などの不利な民族成分のせいでやられる傾向もありました)がことさら意地が強いからだったのでしょうか。まったくそうではなく、客観的な現実に元気付けられていたからです。

 1、「現実社会主義」社会は、多くの面で伝統社会の民衆共同体の気風を受け継いでおり、暴力というのもそうです。ロシアの伝統的な田舎では農民の子供たち同士のけんかは多かったものの、敗れた方に血が出たら直ちに止めるのが掟なのです。子供のうちに障害者になり共同体全体が人手を失い和を乱してはならないため、一種の暗黙の「安全装置」があるわけです。ソ連の学校でもまったく同じ掟が適用され、いくら暴力があるとしても、たとえば大怪我をする確率はほとんどなかったのです。また、学校側も「共同体」だっただけに、暴力が発生したら、直ちに誰かがそれを必ず引き止めるなど、「社会」の肯定的な影響力は常に実感できました。暴力の犠牲者は「一人ぼっち」ではなかったということです。

 2、学校暴力で階級的な「補償」は明らかで、それを「社会的な正義」のレベルにおいて被害者の方がある程度は理解を示していました。加害学生たちの多くは学歴の低い肉体労働者家庭の出身であり、被害学生はたいていインテリ家庭の出身でした。私の場合は、私を恒常的に殴った力の強い何人かのクラスメイトの心理を十分に理解することができました。彼らの成績では科学者になる夢など持つことはできないし、一生貨物車のハンドルを握るか組み立てラインに立たなければなりません。私は彼らに今も昔もただ申し訳ないばかりです。

 3、学校がいかに暴力的であっても、被害者には余裕と家庭がありました。学校は2時で終わるものであり、後は図書館の本を読み漁ったり、親の手を握って博物館、名勝地、自然探訪もできました。親も同じく4~5時なら帰宅し、土日は子供たちと過ごす余裕がありました。そのため、学校暴力は幼い人生の「すべて」では決してなかったのです。

 それでは、上に列挙した「暴力被害者の自殺衝動を防ぐ要因」に照らしてみると、今日の南韓の子供、青少年の生活どのように映るのでしょうか。私たちには暴力をそれなりに緩和させる共同体の伝統などは残っているのでしょうか。北朝鮮にはかなり残っていますが、南韓は?実は子供の体を親の体の延長と捉えその毀損を親不孝と見做す儒教の論理は、朝鮮時代の社会で度若者たちの暴力性をある程度抑える機能を果たしていました。儒教の肯定的な側面は概してそんなものですが、私たちは儒教の否定的な遺産、すなわち長幼有序のような、直ちに焼却しなければならない過去のごみ以外に儒教から受け継いだものがあるのでしょうか。クラスメイトが暴力を振るわれるのを見たら、これをすぐに引き止めるほどの共同体的な「集団無意識」は私たちに残されているのでしょうか。大人の社会でここ2年間双龍自動車の解雇者19人も社会的な他殺に見舞われているのを見ながら、誰も何もできずに絶対多数が見ないふりをしているのに、果してこの「傍観者たちの社会」を見て小さい子供たちは何を学ぶのでしょうか。弱者の家庭出身の子供が多方面に不利なことが多く多少暴力的になりうるということを、理解し受け入れるほどに、我々の社会には正義があり階級的な差別に敏感なのでしょうか。そうだったら私たちに今のような暴力天下もなかったはずです。南韓の子供たちが2時に帰宅し、学校でのことを忘れて読書や趣味活動に耽ることなどできるのでしょうか。二交代、特勤、延長勤務等々で疲れ果てて帰宅する多くの庶民の父兄たちは子供たちの手を握って毎日野外に出て自然探訪する気力など残ってはいるのでしょうか。敢えて聞かなくても分かることです。大人の暮らしも子供の暮らしも長時間・高強度労働の地獄になった社会では、暴力も悪質化し暴力の被害も極大化します。

 子供は大人を見て育つものです。軍隊で古参兵が新参に指揮命令していじめるように、コンビニで社長がバイトにお金もろくに払わずにこき使うように、一部の教師たちが学習者の上に君臨する態度を取るように、挙句の果ては親たちが成績の下がった子供を殴ったり叱ったりするように、子供たち同士も暴力の連鎖が働いているのです。残念ながら軍事化が甚だしかったソ連の子供たちがよく兵隊ごっこをしたように、南韓社会の子供たちが暴力的で搾取的な、共同体の良心など微塵もなく、弱者が強者の餌食になる社会を、極めて残酷な暴力ごっこで再現しているだけです。彼らは私たちの鏡にすぎません。そのため、そのような意味では我々は皆―ジョハン・ヘジョン先生のおっしゃるとおり(https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/512507.html)―(間接的な)殺人犯です。私たちは失敗しました。人間が互いに思いやる、その暖かい温もりで暴力性を緩和させ、子供たちの本性的な善良さを引き出す社会を作るのにまだ失敗しています。「才能教育」のストライキ労働者たちが4年も(!)闘争を続け苦労しているにもかかわらず、「進歩」も彼らにあまり関心を示していません。宋竟東(ソン・ギョンドン)同志とジョン・ジンウ同志が何の罪もなく政治犯になって監獄に閉じ込められているにもかかわらず、多くの「穏健な進歩市民」さえも何もなかったかのように、ただ来年総選挙や大統領選挙のことだけにとらわれている社会は確かにまともな社会ではありません。無関心こそが暴力の最悪の形ではないでしょうか。子供たちは私たちの暴力性を見習っただけです。

 ヴィクトル・ツォイは1980年代末に「お袋よ、私たちは皆重病にかかった!お袋よ、私たちは皆いかれてしまって久しいよ」と歌いました。今日の南韓にそのまま適用しうる名句です。

原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/39743 訳J.S