原文入力:2011/12/14 22:41(2020字)
ナコムス シンドローム、これはファクトだ
MB政府はまだまだ嘲弄の種が無尽蔵だというのもファクトだ
←ソン・ジュンヒョン エディター部門長
<私はセコい>の聴取者すべてが軽薄な人間にされた。 インターネットと社会関係網サービス(SNS)利用者も軽薄な人間にされてしまった。 一昨日夜<100分討論>の番組でC日報論説委員は<私はセコい>を指して「韓国のインターネット文化は軽薄だ」ときめつけた。 彼は脈略もなしに「ロウソクデモの無法な行動」という言葉を使い、疎通に対する熱望噴出まで不平分子の思慮なき逸脱程度に簡単に片付けた。 快刀乱麻だ。
手厳しい忠告は続いた。 「<私はセコい>はイ・ミョンバク大統領ばかり批判しないで北朝鮮のキム・ジョンイル委員長も批判しなさい」と。いわゆる「批評の対象が偏向的」という主張だ。<私はセコい>がイ・ミョンバク大統領だけに捧げる“閣下の献納放送”だとはご存じなかったようだ。
<私はセコい>は平均ダウンロードだけで200万件、照会数600万件を記録し、不動のパッケスト1位を占めている。転送された放送を聴取した延べ人数は数えられないほど多く、それだけに信頼度も高い。実際、世論調査機関エム・ブレーンの調査によれば、既存言論の代名詞である朝中東(Cho-Joong-Dong)と<私はセコい>の報道のうちどちらをより信頼するかという問いに、40%が<私はセコい>側だと答え、朝中東を挙げた回答17.2%の二倍を越えた。既存言論より<私はセコい>の側をより信頼する多くの国民も、十把一絡げに“軽薄な人間”に転落したわけだ。
聴いている間、ずうっと私は心が安らかでなかった。 新聞で食べている者として<私はセコい>が提起した“怪談”が一部事実と判明したことから来る当惑感のためだ。 私だけがそんな自己恥辱感を感じたのではなかった。
「記者たちよ、覚醒しよう。 いつまで<私はセコい>の“特ダネ”行進を見守ってばかりいるつもりか。 こういうことでは飯の種はみな吹っ飛んでしまう。」 この言葉は<100分討論>に出てきた論説委員と同じ場所で仕事をする同僚がコラムに書いた内容だ。 彼は「中央選管委のホームページを攻撃したのが与党国会議員の秘書だったという警察の衝撃的発表に接して、まず頭に浮かんだのは<私はセコい>であった」と書いた。 そして、読者の信頼を確保することが新聞の生きる道だと付け加えた。
もう一度<100分討論>に出てきたその論説委員に話を戻そう。 彼は同僚論説委員が自ら叱責した“信頼の喪失”について悩まなければならないということに対して「私たちがいつ不公正報道をしたか」と言って堂々と対抗した。 朝中東が保守偏向ということは誰でも知っていることなのに、常に中立的に報道してきたという態度だ。 自分たちだけが公正性を守るのだという傲慢と司会者にまで教えようとする独善があらわになった部分だ。
彼は<私はセコい>に対し“正確なファクト”を注文した。 教科書に出ているようにマスコミの報道は事実確認と綿密な検証が必須だ。 だが、4人しかいない<私はセコい>が“合理的疑い”という網を投げて“結果論的特ダネ”を釣ったとすれば、何百名も抱えている報道機関は何故そのような特ダネをつかむことができないのか自問してみることが先だ。 目を閉じたかったからなのか、誰かがそうするように命じなかったからか? それともイ政権の情報統制がひどくてか?
事実<私はセコい>は言論というよりもトークショーに近い。 4人が集まり、イ政権の下で起きている理解し難い数多くの疑問点を取り上げて“軽薄に”遊ぶ。 真実が何かを確認し検証するのは職業記者の役割だ。 <私はセコい>よりもっと信頼されるように、ファクトの戦いで勝利しなければならないのも既存言論の任務だ。それが<私はセコい>の“セコい手”に検証して勝つ道だ。
<私はセコい>の風刺と嘲弄がどこまで続くかは分からない。 明らかなことは<私はセコい>の影響力が既存言論をはるかに越え、シンドロームとして広がっているという点だ。 これはファクトだ。 また、イ・ミョンバク政府ではまだまだ風刺と嘲弄の種が無尽蔵だという点だ。 これもファクトだ。 だがその一方で、風刺と嘲弄の対象が消えた大韓民国の“非常に退屈な未来”を思い描く。 いや期待する。 そしてその倦怠を感じるような日常を喜んで受け入れる用意がある。 国民は軽薄ではない。
ソン・ジュンヒョン エディター部門長 dust@hani.co.kr