登録 : 2013.02.23 10:12 修正 : 2013.02.24 11:27

人事が万事、娘が父親よりさらに

朴正熙の最初の総理である崔斗善(チェ・ドゥソン)が対話と包容の‘責任総理’だとすれば、最後の総理 崔圭夏(チェ・ギュハ)はひたすら大統領に黙々と忠誠を捧げる‘代読総理’であった。 朴槿恵(パク・クネ)が抜てきしたチョン・ホンウォンは崔斗善でなく崔圭夏に近い。 1975年12月19日、朴正熙から国務総理代行任命状を受け取る崔圭夏. <ハンギョレ>資料写真

父親になくて娘だけにあるのは‘人のカーテン’
朴正熙は側近を連れて遊びはしたが
彼らに振り回されたことは無い
娘にだけ無いものは対話
父親は初めは灰皿を投げて
ぶるぶる震えながらでも話は聞いた

父親の人脈はとにもかくにも
能力ある場合が多かった
娘の人脈は自分の町内でも
認められずにいるから いかんせん
イ・マンソプとユン・チャンジュンを較べてみなさい
キム・ジョンニョムとホ・テヨルを較べてみなさい

 5年前、李明博政府スタートを控えて‘オレンジ’波動が起きた時はくすくす笑う楽しみでもあった。 人事が万事だと言うが、国民は国務総理候補者から落馬する姿を見て朴槿恵(パク・クネ)政府の‘断片台本’的な人事発表を不安な心情で見守っている。 朴槿恵の人事を巡る保守言論の論調を静かに調べてみても、色々な計算にともなう最初の馴らし次元ではなく、根源的な不安感が底を流れているようだ。 2012年大統領選挙過程で候補朴槿恵に対する検証から完全に手を離してしまった保守言論は当選人 朴槿恵に同志もおらず参謀もなく直言もないという驚くべき事実を今さらながら発見した。 2007年度ハンナラ党内の候補競選過程では朴槿恵候補の資質と周辺問題を巡り、親李明博系議員があらゆる話をみな引き出した。 これとは異なり2012年大統領選挙では記者たちがその時の興味深い資料さえみな覆い隠してしまったようだ。 朴槿恵の最も重要な政治的資産が朴正熙の娘だという事実のためなのか、朴槿恵の演説を巡る不安感が高まりながら多くの言論では朴槿恵の用人術、人事スタイルと朴正熙の用人術を比較する文等を矢継ぎ早に出している。

陸軍参謀総長出身 警護室長の格上げとチャ・ジチョル

 朴槿恵(パク・クネ)は他人にはできないことをやり遂げた。 自身の支持率を選挙時の得票率より下へ引き下ろしたのだ。 発端は当選人として行った最初の人事であった。 本当にそれほど人がいなかったのか? あるいは、そのような人をスポークスマンの席に座らせた時に他の人々が自身をどのように見るかに対する感覚が全くないのだろうか、それとも他の人々にこれ見よがしにわざと行ったのだろうか? 妄言の化身ユン・チャンジュンに続き、地域感情助長、"‘セックス フリー’と‘カジノ フリー’なタブーなき特殊地域" 発言と、不動産投機で地価が上がって良かったではないかという果敢な発言、博士論文盗作までしたホ・テヨルを大統領府秘書室長に任命したことを見れば、朴槿恵の妄言抜てきは哲学的信念に基づくものと見られる。

 キム・ヨンジュンに続きチョン・ホンウォンにつながった国務総理人選は、朴槿恵が豪語した‘責任総理’を求めたことでなく‘代読総理’を探したのだ。 朴正熙の最初の総理は崔斗善だった。 以前にすでに見たように(2012年5月5日付)1963年の大統領選挙当時、東亜日報と朴正熙の関係は最悪だった。 選挙の最終段階で東亜日報が朴正熙の‘アカ’前歴と麗水(ヨス)順天(スンチョン)事件で朴正熙が無期懲役を宣告された事実を暴露する号外をばらまいたためだった。 選挙の3日前、東亜日報政経部長とインタビューした朴正熙はぶるぶる震えて灰皿を掴んで投げて出て行く程に東亜日報に良くない感情を持っていた。 そのような朴正熙がほんの数ヶ月前まで、年数で言えば17年間も東亜日報社長を務めた崔斗善を直接自宅まで訪ねて行き説得して総理にむかえたのだ。 朴槿恵が探そうと思った総理のモデルは朴正熙の一番目の総理 崔斗善ではなく最後の総理 崔圭夏であった。 キム・ヨンジュンもチョン・ホンウォンも野党に対する対話と包容の象徴である崔斗善ではなく、総理を最高の光栄と感じて大統領に黙々と忠誠を捧げる崔圭夏に近い人物だった。 ‘代読総理’を探すなら、むしろ発音が良く容貌に秀でたアナウンサー出身から選ぶほうが良かったわけだ。

 大統領ひとりに対する警護責任を負う警護室長を国民全体の治安を担当する警察庁長官(次官級)より高い長官級に格上げしたことに対して、あれやこれや文句が多い。 母親と父親が別々に狙撃されたむごい記憶と、自身もテロにあった生々しい悪夢を体験した当選人の境遇を考えるならば、薄情にも警護室長の職級格上げを問題にしたくはない。 ただし国民は警護室長という席に対し悪夢を持っている。 警護室長チャ・ジチョルの専横と跋扈は朴正熙の死を持たらした直接的な原因だった。 空挺部隊大尉出身であるチャ・ジチョルは、低い階級のために軍事政権の他の軍出身要人に対して激しいコンプレックスを持っていた。 チャ・ジチョルは警護室長の地位を隊長級に引き上げるために朴正熙にせがんで警護室次長と次長補を現役中将と少将に補足任命した。 一時、全斗煥(チョン・ドゥファン)が警護室作戦次長補で、盧泰愚が行政次長補として勤めもした。 全斗煥・盧泰愚時期にも警護室長にはチャン・セドン、アン・ヒョンテ、イ・ヒョヌなどの実力者が任命されたが、陸軍参謀総長出身が任命されたのはパク・フンニョルが初めてだ。 これはおかしい。 5大将星の一つである兵長出身の私でさえ陸軍参謀総長出身が警護室長に任命されたという便りに顔がかっかと火照るのに、現役たちはいかばかりだったろうか。 軍人は名誉に生きるという言葉があるが陸軍参謀総長出身ならば国防部長官なら分からなくもないが、畑違いの座をむさぼってはならない。

 朴槿恵は国防部長官には外国の兵器商人の顧問をしたキム・ビョングァンという人物を指名した。 この頃、ギャグコンサートで流行している 「ここでそんなことをなさってはいけません」 が自然に思い浮かぶ。 法務部長官候補者に指名されたファン・ギョアンも色々な面で問題だらけだ。 公職からローファームへ行き再び公職という回転ドアはもううんざりだ。 公職にあった人が金と名誉をすべて持とうとしてはならない。 国家保安法は絶対化して世俗法と教会法が衝突する時には教会法が優位でなければならないという時代錯誤的な者が、三星(サムスン)Xファイル捜査を踏み潰し"餅代検事"を保護して、餅代をむさぼった検事の名簿を上げて議員職を奪われたノ・フェチャンには京畿(キョンギ)高同窓だとして後援支援金を出すという一貫性のない者が、一国の法執行の責任を負えるか? 民政首席に任命されたクァク・サンドは遺書代筆事件の捜査検事であった。 遺書代筆事件とは検察が犬の群れとなって盧泰愚政権の保衛のために真実と無実の市民を噛みちぎった最悪の人権侵害事件だ。 クァク・サンドの任命は朴槿恵の過去事謝罪が真っ赤な嘘であったことを証明している。

‘用人術の天才 朴正熙’は維新前の話

 金正日、金正恩の金日成追従ほどではないかも知らないが、朴槿恵は父親 朴正熙の権力運用方式を意識的、無意識的にまねている。 気質的に父親に似たうえに、幼いころから見て習ったのがそれなので どうしようもない事かも知らないが、真に危険なことだ。 朴槿恵の‘父親追従’は不幸な結果を持たらさざるを得ない。 何よりも朴槿恵は朴正熙ではない。 ぞうきんは洗ってもぞうきんであるように、朴正熙はいくら何度かの大統領選挙で濯いだにしても軍事反乱で政権を掌握した独裁者であった。 選挙で当選した大統領が軍事反乱で政権を簒奪した者の権力運用方式をまねるのは真に馬鹿げたことだ。

 また、今は21世紀であって維新時代ではない。 朴正熙の価値観と権力運用方式は今から40年前でも時代錯誤的だった。 朴槿恵がまねる朴正熙の用人術とは、朴正熙が民主主義の原則とルールを初めから無視した土台の上で初めて可能になることだった。 朴槿恵はいやでも民主主義の原則と枠組みの中で動かなければならない。 朴正熙の権力運用方式は死ぬ時まで権力を握りしめていようとする者の方式だが、朴槿恵は5年という任期が決まっているので、それに合わせて自分だけの権力運用方式を作り出さなければならない。 朴槿恵が任期中に4年重任制改憲をした後、形式的に退きカカシ大統領を前面に立てて8年間垂簾政治をするという雲をつかむような夢を見ているならば別だが、朴正熙の終身型権力運用方式をモデルにすれば5年満期を満たすこともできずに不渡りを出す恐れがある。

 多くの言論が朴正熙の用人術を色々な角度から扱った。 ほとんどの場合、一つとても重要な事実を見逃している。 朴正熙は18年という期間にわたり執権したという事実だ。 朴槿恵の朴正熙追従の最大の問題は、すでに(2012年12月7日付)指摘した通り、朴槿恵が見て習ったことは18年間執権した朴正熙が最悪の状態の時だったという点だ。 朴正熙が‘用人術の天才’と言われたのは維新前だけだった。 10・26事件は絶対権力者が自身の右腕、左腕と一緒に酒を飲み、右腕が頭(カシラ)と左腕に銃を放った事件だ。 朴正熙は用人術の天才ではなく、誤った用人術によって自身の用人術の破綻により最も信じていた部下に自身の命を奪われなければならないという悲劇を自ら招来した者だった。

 朴正熙も朴槿恵も、揃って几帳面に手帳に人名をメモしておき要職に任命すると言われるが、朴正熙と朴槿恵が処した状況は余りにも違う。 人事問題に関する限り、5・16直後に朴正熙が処した状況は現在の朴槿恵に比べてはるかに有利だった。 今でこそ4・19と5・16を完全に対立するものとして理解されているが、その時は必ずしもそうではなかった。 50年の歳月が流れて見れば、4・19の継承者と5・16の継承者の間に 民主 対 反民主、または 民主化 対 産業化 という明確な対立構図ができ上がった。 だが当時は4・19であれ5・16であれ非常に古臭い李承晩体制をひっくり返し何か新しい時代を切り開いてみようという爆発的なエネルギーを共有していた。 これは朴正熙にとって幸運だった。 たとえ朴正熙が民主主義を踏みにじった軍事反乱を起こしたとは言っても、50年前の相当数の大衆は厳格な民主主義の定規を当てるよりは、ひょっとして彼がトルコのケマル・パシャやエジプトのナセルの執権初期のような役割をするのではないかと期待したりもした。 結果的に朴正熙はそのような期待を徹底的に裏切ったが、執権初期に彼が動員できる人的資源の土台は今とは比較にならなく頑強だったのだ。 その時はまだ進歩と保守はもちろん、民主と独裁さえまともに分化していなかったため、朴正熙は大韓民国の人材プールを最大限に活用できた。 反面、朴槿恵は朴正熙が種を撒き しゃぶった独裁と両極化と地域対立が招いた尖鋭な政治的・社会的葛藤を受け継いだので、大韓民国が持つ人材の相当部分を当初から活用できにくかった。

 軍事反乱で権力を掌握した朴正熙は、自らの権力に正統性がなかったために権謀術数と用人術と情報政治と工作政治で権力を維持した。 選挙で選出され、最小限の手続き的正統性においては何の瑕疵もない朴槿恵は、朴正熙の用人術などを見習う必要はない。 見習う必要がないだけでなく、見習おうとしても習えない。 朴正熙には任期のようなものはなかったが、朴槿恵には任期がある。 朴正熙には聴聞会のような足手まといな手続きに従う理由がなかったが、朴槿恵はその手続きを守らなければならない。

最も悪い姿の‘父親像’を消せ

 朴正熙にはなくて朴槿恵にあるものとして代表的なものを挙げろと言うなら‘人のカーテン’が挙げられる。 朴正熙は下の人々や側近を連れて遊んではいても、彼らに振り回されたことはなかった。 朴正熙の秘書室長キム・ジョンニョムが朴槿恵が大統領になるとは夢にも思わなかった時期に自身の回顧録に残したエピソードは衝撃的だ。 ある日‘閣下のお嬢さん’が自分の執務室を訪ねてきて、いくつかの企業名を挙げて、チェ・テミンの救国布教団を支援している企業なので懸案問題を解決してほしいと頼んだということだ。 驚いたキム・ジョンニョムは朴正熙のもとにすぐに走って行き、‘閣下のお嬢さん’が資金が必要なら大統領の政治資金を管理してきた自分が資金を追加で用意するので、大統領が‘閣下のお嬢さん’に直接支援して差し上げ‘閣下のお嬢さん’が金銭問題に再び介入しないよう源泉封鎖してほしいと建議したという。 このような介入は事実、法がまともに機能していれば刑事処罰を受けて当然な事案だった。 反面、過去に朴槿恵は育英財団と嶺南(ヨンナム)大で、全て側近による不正腐敗のために理事長や理事の席から退かなければならなかった。 育英財団であれ嶺南大であれ、共に国家機構とは比較にならない小さな機関の運営でさえも、側近が朴槿恵の目を避けて途方もなく蚕食したのだった。 不通のリーダーシップだけを見せた朴槿恵が果たして側近の虎の威を借る狐を押さえ込み国政を正しく遂行できるだろうか? 専横を日常的に行ったその側近らの大部分が昔も今もチェ・テミンという正体不明の牧師と連結された人々だという点は深い憂慮をもたらしている。

 反対に朴正熙にはあるが、朴槿恵にはないのも多い。 朴正熙の用人術が有効に機能した執権初期には、灰皿を投げてぶるぶる震えても対話と討論があった。 朴槿恵には不通があるだけで対話と討論がない。 朴正熙には自身が権力を維持するためには聞きたくない話でも批判的な発言をする人々を登用しなければならないという政治的感覚があった。 朴槿恵にはそのような感覚がない。 朴正熙の人々は道徳性問題は別にしても能力は確かにあった。 朴槿恵の人々は身内からも能力を認められなかった人々が多い。 朴正熙は自身が直接掌握した軍部の場合、国防長官や陸軍参謀総長には必ずしも有能な人を使わなかったが、他の分野では大概エース級を選んで使った。 同じ記者出身でも朴槿恵のスポークスマン ユン・チャンジュンと朴正熙のスポークスマン イム・パンヒョン、ユン・ジュヨン、キム・ソンジンやイ・マンソプ、チェ・ヨンチョルが同じ階級ではないではないか。 朴槿恵が長考の末に秘書室長に選択したホ・テヨルからイ・フラクのような知略やキム・ジョンニョムのような重い信頼は伺えないではないか。 朴槿恵が選択した経済長官たちの中で、キム・ハンニョル、チャン・ギヨン、キム・ジョンニョムのような人はいないではないか。

 独裁者 朴正熙は手持ちのカードが多かったので、人を切っても自分が切った人に配慮できる色々な資源を動員できた。 朴正熙がどれほど多くの人を謀略的に反革命という汚名を着せて監獄に送り、またどれほど多くの人を兎食狗烹(訳注:不用になればあっさり捨てる意)したか。 キム・ヒョンウクのような極端な事例を除けば、朴正熙に捨てられた後ついに朴正熙と対立した事例を探すことは難しい。 再び呼んでくれるという信頼を与えたためだ。 朴正熙は自身の満州軍官学校の先輩であり5・16軍事反乱の同志であるキム・ドンハを反革命で捕まえ拘禁したがすぐに釈放し、本当に雰囲気が良いという馬事会長として永く座らせておいた。 朴正熙は1971年いわゆる10・2抗命波動の主役であるキム・ソンゴンを中央情報部に連行し、毛抜きで鼻毛を抜く侮辱を与えたが、彼の所有である双龍(サンヨン)グループに手を触れることはなかった。

 私は朴槿恵の当選を決して望まなかった。 それでもすでに大統領になった以上、李明博のように国民皆を不幸にさせないことを心より望む。 そのために大統領 朴槿恵が一番最初にしなければならないことは、21世紀の指導者らしく、日本の軍国主義モデルを踏襲した朴正熙の影から抜け出すことだ。 朴正熙は朴槿恵のモデルになってはならない。 しかも朴槿恵が維新政権のファーストレディの役割をして見て習った朴正熙は幾度も強調した通り最も悪い姿の朴正熙、権力の動脈硬化症がひどく悪化した朴正熙であった。 朴槿恵がまねる朴正熙の用人術は結局、彼のリーダーシップの総体的崩壊だけでなく彼自身の死まで持たらした文字どおり致命的なものだった。 同じように手帳を持ってはいても、今までの人事から見る時、朴槿恵の人を見る目は朴正熙の人を見る目に大きく至らない。 朴正熙は正常な政党と政府のシステムに依存せずに、情報機関と警護室に寄り添って死を迎えた。 どうか朴槿恵は検証されてもいない側近に依存せず、私は心から嫌いな党だが、セヌリ党とでも協議し討論して不通のリーダーシップから抜け出せるよう祈ってみる。

ハン・ホング(韓洪九)はおもしろい現代史コラムの世界を開いてくれたヒゲオヤジ歴史学者。聖公会大教養学部教授、平和博物館常任理事として仕事をする。 2004年から3年間、国家情報院過去史委員会で活動し、<ハンギョレ> <ハンギョレ21>に‘歴史の話’と‘司法府-悔恨と汚辱の歴史’を連載した。著書に<大韓民国史> 1~4巻と<特講>、<今この瞬間の歴史>がある。

韓国語原文入力:2013/02/22 20:43
http://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/575175.html 訳J.S(7093字)

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