「敗戦国」日本が連合国と第二次世界大戦の講和条約である「サンフランシスコ平和条約」と「日米安全保障条約」を締結したのは1951年9月8日(発効は翌年4月28日)だった。日本でこの二つの条約の交渉実務を担当していたのは西村熊雄外務省条約局長であった。彼は1971年に出版した著書『日本外交史-27 サンフランシスコ平和条約』で「日本の交渉が足りなかった」という点いさぎよく認めた。
最大の問題は、「勝戦国」米国の要請によって受け入れざるを得なかった「極東条項」だった。この条項は「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」(旧条約第1条の中間部分、改正条約第6条)という内容を含んでいる。ここで言う「極東」とは、フィリピン、台湾、韓国を含む地域を指す。米国はこの条項に基づき、日本国内の基地を使用して極東事態に介入する権利を得た。
しかし、これは攻撃される国の立場からすれば容認できない「敵対行為」となる。先月28日、米国とイスラエルのいわゆる「壮大な怒り」作戦の後、湾岸諸国の主要都市がイランの報復攻撃を受けたのもそのような理由だ。西村氏はこう語っている。
「(極東条項に関する問題―例えば、極東の範囲はどこまでか、在日米軍が日本の提供する施設及び区域を極東の平和と安全維持のために使用する場合、日本政府はどの程度まで関与できるか—について)充分考慮を払わないで「同意あって然るべし」との結論を総理に上申したことは、今日に至ってなお事務当局として汗顔の至りである。これらすべては1960年1月19日の日米相互協力及び安全保障条約で是正された。せめてもの慰めである」
多くの人が誤解しているが、米日安全保障条約は相互防衛条約ではない。条約の適用範囲は「日本の施政下(行政権下)にある領域」に限定され、ここが攻撃を受けた場合、米日は「共通の危険に対処するために行動する」(第5条)ことになる。日本は米国を守っていないにもかかわらず、このような安全保障の約束を引き出せたのは、続く極東条項(第6条)のおかげだった。つまり、米日同盟の「双務性」は、米国が日本を防衛する代わりに日本が基地を提供するという点で確保される。基地提供とはそれだけ厳しいものだ。
これに対して韓米は立派な相互防衛条約の構造を持っている。条約の適用範囲は「各当事国は他当事国の行政支配下にある領土」、特に「太平洋地域における武力攻撃」(第3条)となる。それに伴い、韓国は米領グアムなどが攻撃された場合、「危険に対処するために行動する」条約上の義務を負うことになる。このような理由から、在日米軍は「日本防衛」と「極東事態への介入」という二つの役割を果たしてきたが、在韓米軍はただ「韓国防衛」に専念してきた。
先月の18日から19日にかけて、中国の防空識別圏(CAIDZ)付近で行われた在韓米軍戦闘機F16の攻撃的な訓練を見て、韓米同盟の性格が根本的に変わったと感じた。米国は1月23日に公開した「国家防衛戦略」(NDS)で「北朝鮮を抑制する一次的責任」を韓国に押しつけ、自らは「決定的だがより制限された支援」にとどまる意向を示した。まもなく、韓国に循環配備されているストライカー旅団などをグアムや米本土に移し、北朝鮮の核の脅威に対抗して「拡大抑止」を提供する「決定的だがより制限された」役割だけを果たすことにするだろう。そうなると、最終的に韓国に残るのは北京の近くに位置する「鋭い刃」である烏山(オサン)・群山(クンサン)基地の米第7空軍だけだ。在韓米軍が「戦略的柔軟性」を主張し、烏山から出撃したF16とF35で中国の主要都市を攻撃すれば、死の煙が立ち上るのはワシントンではなく、ソウルと仁川になるだろう。
米国は2006年1月、「韓国が韓国国民の意思に関係なく北東アジア地域の紛争に介入することはないという立場を尊重する」と約束している。しかし、先日の西海(ソヘ)訓練やその後の在韓米軍司令官が見せる「傲慢な態度」を考えると、この宣言が守られるとは期待しがたくなった。「汗顔の至り」であった西村氏にとって、せめてもの慰めになったのは1960年に行われた条約改正だった。日本はこれにより、米国が日本国内の基地を利用して戦闘作戦に臨む際には「事前協議」を行うことを義務づけた。私たちはどうすべきか。後になって胸を叩いて後悔しながらソウルに立ち上る「黒い煙」を見つめるのか。