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クーパンとトランプ大統領の共通点、厚かましくためらいのない中世的世界観

登録:2026-02-07 08:27 修正:2026-02-07 09:38
米国のトランプ大統領がフロリダ州マール・ア・ラーゴの自宅で週末を過ごし、1月20日(現地時間)にワシントンへ戻るため専用機エアフォースワンに搭乗する前に、記者団と言葉を交わしている。大統領は前日のNBCとの電話インタビューで、「グリーンランド購入交渉が不調に終わった場合、欧州諸国に実際に関税を課すのか」と問われ、「100%そうする」と答えた/AFP・聯合ニュース

 大規模な顧客情報流出事故が起きたネット通販大手「クーパン」と、よこさなければ軍事作戦も辞さないと言ってグリーンランドを『所有』すると宣言した米国のトランプ大統領の野望。まったく関係なさそうにみえる2つの現象は、中世的な世界観で眺めると興味深くも重なってみえる。両者とも言葉や行動で表す自らの欲望は非常に厚かましく、ためらいがない。言葉や行動を律する普遍的な規範などは存在しない。あったとしても無視する。トランプの言うように、彼らを制御できるのは外部の普遍的な規範ではなく、自分自身の「道徳性」だけだ。

■公的規制の消え去った「中世的」現代

 中世的世界観の肝は、普遍的な規範によって律される一つの舞台としての世界が消滅し、代わってそれそのものが一つの独自の世界となる「領地」に分割されているということだ。この領地は完全な私有物であり、その中に存在するものも領主の私有物として扱われる。この世界観においては、「外」はまったく規範の対象にならない。単なる捕獲と略奪の対象に過ぎない。

 このような中世的世界観をウンベルト・エーコは、『ポストモダンか新たな中世か』という本の中で、いくつかの特徴で分類している。1つ目は中央権力の危機、または不在。世界的なレべルから地元地域のような小さな組織に至るまで、全体を統制する権力は機能せず、それぞれが動く。2つ目は、それに伴う地域の要塞化。最近のマンション団地はフェンスを設置し、外部と遮断されている。外部の人間は危険な存在とみなされる。公共性は私有に阻まれている。公的規制は存在せず、私的領域が私有化され、領地のように運営される。君臨する封建領主は「リーダー」ではなく「ボス」となる(中世にボスではなくリーダーとして立ち現れた例外的な人物の1人がサラディンであろう)。

 『テクノ封建主義』の著者セドリック・デュランは、クーパンのような現代の巨大プラットフォームは中世の領地のようになっていると述べている。プラットフォームの所有者(つまり領主)とユーザーの関係は非対称だ。所有者はユーザーの活動力を略奪する。一方、ユーザーは一度閉じ込められると抜け出すのが難しいエコシステムに属している。脱出しても行き着く先は別の「領地」に過ぎない。SKテレコムで大規模な顧客情報流出が発生したためKTに移ったものの、そこでも再び流出事件が発生してSKテレコムに舞い戻るのも、同じ理屈だ。クーパンのようなほぼ独占に近い巨大プラットフォームは、単一のエコシステムだ。領地と領地の間には「悪霊が住んでいると信じざるを得ない」森しかない。ロビン・フッドになる覚悟を有する「勇敢な」人々だけが森の中で生きられるに過ぎない。

 中世の領地の特徴は、領地を「所有」する者がその中に存在するすべてのものの「能力」も所有し、必要な時に任意に捕獲するというもの。デュランの言うように、デジタル経済においてはあらゆる人が所有者に依存しており、所有者はユーザーを含むエコシステムを構成する人々の「能力」を捕らえ、捕食する。「データ収集を拡大する過程で捕獲すべきはデータそのものではなく、データの持つ社会的な能力」だというのだ。ここでは生産よりも捕食という略奪が優先される。脱出は不可能であり、領地を律する普遍的な規範は機能しない。そこには自らが主権者である領主だけが存在する。

 この中世は事実上、普遍的な規範として存在する「世界」の終末だ。いくつかの破片に分かれ、それぞれ要塞化され、要塞となった領地ごとにまったく異なる規範と様式で生きることになる。それぞれの要塞化された領地は、まったく異なる「世界」となる。普遍的な規範で律される多様な生活様式が存在する一つの世界は存在せず、まったく異なる規範によって異なる様式で生きるそれぞれ異なる別個の世界「たち」が存在する。これがポストアポカリプスの世界観だ。

■外部を破壊する「要塞化」戦略

米国のトランプ大統領は2026年1月20日(現地時間)に自らのトゥルース・ソーシャルのアカウントに、グリーンランドと表示された地域で大きな星条旗を掲げて立っている合成画像を投稿した=トランプのトゥルースソーシャルより//ハンギョレ新聞社

 ポストアポカリプスの代表的なゲーム作品『ザ・ラスト・オブ・アス(The Last of Us)』にこの世界観がよく表れている。終末後、生存者たちはさまざまな派閥を作り、それぞれの道を歩んでいく。ある派は密輸で生きてゆき、またある派は感染者を実験体にして治療薬を開発し、宗教集団や軍事組織も存在する。各派はそれぞれの価値観に従って生き方の異なる「異世界」たちだ。そのすべてを律する全体、かつ普遍としての世界は存在しない。

 一見、世界全体を統制する中央権力の不在は、トランプの政策と矛盾しているようにみえる。米国とトランプこそが世界の中央権力ではないのか。しかし「ドンロー主義」という言葉が意味するように、トランプの関心は世界全体を統治することではない。彼とMAGA(米国を再び偉大に)勢力の関心は、「外」の脅威に対して米国を要塞化することだ。世界全体を律する規範を生産、統制するのではなく、世界を「捨てて」北米、つまり米国を、外部から安全な自立的で閉鎖的なエコシステムにしようとしているのだ。

 実際のところ、米国が最も線を引きたがっているのはロシアや中国、あるいは非西欧諸国ではなく「欧州」のようにみえる。この点では、トランプよりも副大統領のバンスの方が積極的な人物にみえる。彼らの見方によると、欧州は文明的にどうしようもない。「年を取っており」、「何ら実質的な力もないのに虚勢を張る烏合(うごう)の衆」に過ぎない。中国やロシアのような外部から米国を守りつつ、欧州と距離を置くために南でベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロを捕らえたトランプは、北ではグリーンランドを『所有』したがっている。そのために軍事作戦も選択肢の一つになっていると述べつつ、当面はグリーンランドの所有に反対する欧州の「同盟国」に関税爆弾を投下すると宣言した。

 グリーンランド併合が米国の要塞化を目的としていることは、財務長官ベッセントの発言でよく示されている。彼はロシアと中国の脅威から米国と「西半球」の安全を守るため、米国のグリーンランド所有は不可欠であり、今は「ゴールデンドーム」を構築していると述べた。ご存知の通り、ゴールデンドームは宇宙を基盤とする次世代ミサイル防衛システムだ。最大数千基の人工衛星を低軌道に打ち上げ、米国を狙うミサイルの発射点を緻密に監視し、宇宙を基盤とする迎撃体で先制、またはミサイル発射直後に攻撃するシステムだ。

 ゴールデンドームの必要性を語る中で彼らが参照したのは、イスラエルが築いた鉄壁の防御システム「アイアンドーム」だが、決定的な違いがある。アイアンドームがイスラエルという地域を防衛するシステムであるのに対し、ゴールデンドームは北米地域を防衛するために世界全体を監視し、先制攻撃するシステムだ。要するにゴールデンドームは地域の要塞化で終わるものではなく、より積極的に要塞の外も破壊するという構想だ。

■「私の考えだけが私を止められる」というトランプ

 喜んでいるのは「外」のロシアだ。NATO(北大西洋条約機構)の東進の阻止を大義名分としてウクライナに侵攻したロシアとしては、トランプに礼を言うべき状況だ。米国と欧州の対立が激化すればするほど、当面はウクライナ戦争で優位に立てる。長期的に米国と欧州が完全に割れる大西洋同盟の崩壊は、ロシアが最も望んでいることだ。米国がいなければ「年を取った」、「烏合の衆」に過ぎない欧州がロシアに対抗できることはほぼない。欧州について、米国とロシアは同じ見方を共有しているようにみえる。

 トランプが「世界」という視点ではなく「内と外」という視点を有しているのは明らかにみえる。「国際法は必要ないし、私自身の道徳、私自身の考えだけが私を止める唯一のもの」だというトランプの発言は、皇帝としての宣言のようにみえるが、米国以外の世界を「外」とみなすということだ。もしその外が帝国の「内」であるなら、依然としてそこに機能すべきは帝国の「普遍的」規範だからだ。したがって、彼は世界の統治者たる皇帝というより、「内」を支配しつつ「外」を放置し、必要に応じて攻撃する中世的な「覇権領主」に近いようにみえる。彼は世界全体の秩序を新たに定めたがっているわけではない。外は略奪の対象に過ぎず、そこで誰が何をしようが、何が起ころうが、米国にとって脅威にならないのであれば我関せずだ。

 自らが介入する地域に世界の標準となる普遍的な規範を導入するのではなく、監視したり破壊したりはするものの、脅威にならない限り規範なき独自の秩序のまま放置するというトランプの価値観がはっきりと表れているのが、ベネズエラだ。独裁者を倒したのであれば、「当然」そこに普遍的な米国の秩序である「民主主義」と「市場経済」を導入すべきだが、まったくそうしていない。親米極右系の野党指導者マリア・コリナ・マチャドは、自身が受賞したノーベル平和賞までトランプにささげたが、トランプはマチャドにはベネズエラを率いる力量がないと公然と発言している。むしろマドゥロ政権で副大統領だったデルシー・ロドリゲスを高く評価している。それに合わせてロドリゲスも、表向きは米国に対する抵抗の声を強めているが、実際には徹底して米国に協力すると同時に、民兵を動員して国内の国民を厳しく弾圧している。当然、トランプはそれについて知る必要はないとの立場だ。

■廃墟の上に繰り広げられる新たな世界の可能性

 ここで視線をよそに向けなければならない。今を中世とみるのは、徹底して要塞の中にいる人々の視点だ。一方、要塞の外は廃墟(はいきょ)となり、その廃墟となった地域での生は中世的なそれではなく、徹底して終末後の生だ。裸の命ではなく、捨てられた命だ。米国をはじめとするいくつかのバンカーとなった要塞に住む者たちが、捕らえられていたとしても命が保証された生活を送っているとしたら、外は終末後を生きている。パレスチナのガザ地区やミャンマー、そしてベネズエラやイランに生きる人々の今は、凄絶な終末後だ。彼らは孤立し、見捨てられた世界に生きている。

 もちろん、彼らはその上で新たに生活を再建するだろう。彼らのことを単に死を待つ存在だと考えてはならない。廃墟の上で繰り広げられる彼らの回復力と躍動をみるべきだ。レベッカ・ソルニットが著書『災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』で述べているように、天国は総じて地獄の上に築かれるものだ。むしろだからこそ、彼らが今、終末後を生きていることがより明確になる。彼らと再建を共にする「世界」は存在せず、彼らは今「世界」を再建するためにもがいている。誰が彼らと連帯するのか? 中世でもポストアポカリプスでもない、新たな「世界」の可能性はここにある。

オム・ギホ|社会学者、青江文化産業大学教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://h21.hani.co.kr/arti/society/society_general/58754.html韓国語原文入力:2026-01-23 16:56
訳D.K

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