261年ぶりに「客人の船」が再び日本を訪れた。
全羅南道木浦(モクポ)から玄海灘を渡り、日本の大阪まで約1000キロの海の道を渡った。停泊した船の前では、大阪市民が歓呼して涙を流した。1763~1764年に朝鮮王朝が日本に外交使節として派遣した通信使船の再現だった。当時の通信使の団長である正使の船に掲げられた旗がはためいた。正使の船を意味する「正」の文字が記されたこの旗は、龍が描かれた青い旗とともに、朝鮮通信使の復元船の日本訪問を力強く伝えた。
伝統帆船の復元船は、建造から6年あまりを経て朝鮮通信使の最終寄港地だった大阪港に入港した。13日午前、大阪の西側にある港湾地区のATC埠頭では、「朝鮮通信使船入港歓迎式」が盛大に繰り広げられた。先月21日に停泊地の木浦を発った後、釜山(プサン)港、日本の対馬、壱岐、下関、呉などを経て、大阪港に到着するかつての航路の再現事業の頂点となる式典だった。
この日の歓迎式は、黄色い伝統礼服を着た釜山芸術団の吹打隊が船から埠頭に降り、太平簫(小型の管楽器)、ナバル(長いラッパのような管楽器)、太鼓、ケンガリ(小型のドラ)などによる伝統的な祝賀音楽の演奏で始まった。航海を主催・進行した国立海洋遺産研究所のイ・ウンソク所長と、船の建造と運航の中心的な実務を担ったホン・スンジェ研究官ら船員10人あまりが降り立つと、市民の歓呼を受けた。埠頭に先に来ていた国家遺産庁のチェ・ウンチョン庁長、文化体育観光部のユ・インチョン長官、大阪市の高橋徹副市長らも、船員に感謝の言葉と拍手を送った。
高橋副市長は「こんにちは。大阪港で歓迎します」と韓国語で挨拶し、「通信使の歴史を再現する試みは、韓国と日本の両国が長年の友好を分かち合い、未来指向の関係を構築するうえで非常に重要な役割を果たすことになる」と述べた。チェ・ウンチョン庁長は「朝鮮通信使船は東アジアの歴史上、最も長く外交と文化の交流を達成した象徴的な船であり、韓国と日本の国民の心をつなぐ架け橋」だとしたうえで、「2025大阪・関西万博の期間に合わせて入港し、両国が平和と尊重の精神を過去から共有してきたというメッセージを世界に伝えた」と述べた。
現場には200人以上の市民が詰めかけ、入港式を見守った。
入港式の後、船内の船上博物館を見学し、甲板で繰り広げられた釜山芸術団の公演も鑑賞した。近くの岸和田市に在住の杉山優子さん(59)は「18世紀の江戸時代の通信使を歓迎した当時の大阪の人たちの気持ちを改めて実感し、歴史を新たに知る興奮を感じた」と述べた。
船員たちは喜びを隠せなかった。イ・ウンソク所長は「考証と材料の確保で多くの苦労があったが、あらゆる努力を尽くして原形通りに再現した船が、ようやく本格的な航海を行うことになり、感無量だ」と述べた。旅程を撮影した写真家のオ・セユンさんは「大阪に到着する前、瀬戸内海の通信使の寄港地の各地で現地の人たちの心からの歓迎ともてなしを受け、大きな誇りを感じた」と語った。
船は15日まで大阪に停泊し、午前10時30分と午後2時30分の2回、現地の市民を招待して朝鮮通信使船の復元船を紹介する「船上博物館」のイベントと伝統公演を行う予定だ。その後出港し、25日午後に下関で開かれる帰航歓送式を最後に、日本を発ち木浦に戻る。