2010年代初め、フィリピン出身のマリーさん(当時20代、仮名)が京畿道にある外国人専用クラブに着いた日だった。マリーさんは歌手として働くために韓国に入国し、ブローカーと共にこのクラブにやって来た。夜になっても公演が始まる気配はない。自分より先にクラブに来ていた女性に「歌はいつ始めるのか」と尋ねた。その女性はこう答えた。
「私たちは公演なんかしない。舞台は取り締まりを避けるためにあるのよ」。その様子を見ていた店の主が1杯のテキーラを差し出した。「あそこにいる男と会話すればいいんだ」
芸術興行(E-6)ビザを得てやって来た韓国、そして40万ウォン
仕事はこうして始まった。最初の4カ月で受け取った給料は計40万ウォン。雇用契約書上の月給(120万ウォン)、労働条件(8時間労働)とは異なっていた。ビザの手数料、航空運賃、仲介料などに多額の費用がかかっていると言って、序盤の2~3カ月は月給を支払わないのが慣行だった。
店の主は、もっと多くの金を得るためには「ジュースポイント」を稼がなければならないと言った。ジュースポイントとは、客に酒を買わせるとポイントがたまる制度だ。性接待をしてようやくノルマが達成できるため、事実上の性売買強要システムだといえる。
つらいのは性売買の強要だけではなかった。「処女じゃあるまいし」などの暴言は耐え難かった。マリーさんはブローカーに「歌手の仕事ができる店に変えてほしい」と頼んだ。すると、店の主はマリーさんを別のクラブに送ってしまった。
状況はより悪化した。平日はクラブから外出が許されるのは一日に3時間のみ。監視係もいた。事実上の監禁だった。暴言、一日に12時間以上の労働。同僚の中には性的暴行の被害者もいた。
このような目にあったのはマリーさんだけなのだろうか。そうではない。公益法センター「アピール」が2020年1月に来韓した5人の公演移住労働者にインタビューをおこなって作成した報告書によると、彼女たちの性搾取パターンはマリーさんと同様だ。
フィリピン現地の人材募集業者は、経済的に苦しかったり扶養家族がいたりする若い女性に「韓国のレストラン、酒場、観光ホテルなどで歌手として働けば稼げる」と声をかけて接近する。そして実際の労働条件とは異なる労働契約を結ぶ。
フィリピンにいるマネージャーが女性に歌の練習をさせ、動画を撮って韓国の文化体育観光部の映像物等級委員会に提出すると、委員会はその動画を見て判断し、公演推薦書を発給する。公演企画会社は雇用契約書、公演推薦書などを法務部の出入国管理事務所に提出し、芸術興行(E-6)ビザの発給を受ける。こうして韓国にやって来ると、その後はみなマリーさんと同じ経路をたどることになる。
店から逃げたら…歌手ではなく性売買したと罪人扱い
このような人身売買の構造は韓国で20年以上続いている。手口はより巧妙になっている。店主は、フィリピン女性たちが韓国にやって来たときから発生した負債をえさに性売買を強要する。パスポートを奪い、警察と裁判所に自分たちの親戚がいると言って脅すなど、様々な方法でこれらの女性たちが逃げ出したり通報したりできないようにする。
マリーさんはハンギョレ21とのインタビューでこう語った。「性売買の取り締まりで最初に警察に捕まった時、警官の1人は私たちが(人身売買の)被害者だということを少し認知したようでした。私たちを釈放した時に『店から逃げろ』と言うんです。でも、私たちにはどこに逃げるべきか、どのように助けを求めるべきか分かりませんでした。何より店の主には『自分があの警官に大金を渡したからお前が釈放されたんだ』とうそをつかれました。警察が(店主と)仲間なのではないかと思ったので、店主に有利な虚偽の陳述をしなければなりませんでした」
こうして店に戻ったが、初めて会った警官の言葉が心に残り続けた。1年後、マリーさんと仲間たちはとうとう店から逃げ出した。彼女たちは別の地域に隠れたが、携帯電話で位置を追跡され、別の警官たちに捕まった。だがその警官たちは、今度はマリーさんと仲間たちが「人身売買の被害者」である可能性を気にもかけなかった。
手錠をかけられ、縄で縛られた。逮捕理由はE-6ビザを所持するフィリピン出身の公演移住労働者の勤務地離脱、そして勤務地で歌手ではなく性売買をしていたというもの。それから45日間にわたってソウル出入国管理事務所に拘禁され、強制退去を命じられた。
崖っぷちに追い詰められた時、救いの手が差し伸べられた。あるフィリピンの牧師が移住女性保護団体と公益弁護士に会うのを助けてくれたのだ。マリーさんは「拘禁がどれくらい長くなるのかさえ知らされなかった。団体と弁護士の助けがなかったら、いったいどれほど拘禁が長引いていたことかと気が遠くなる」と語った。(2に続く)