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朝鮮通信使船、212年ぶりに日本の対馬へ

登録:2023-06-19 19:02 修正:2023-06-20 06:40
2018年、全羅南道木浦市沖に浮かぶ朝鮮通信使船。通信使船団の中で使臣団長が乗る「正使船」を再現したもので、朝鮮時代に運航された船の中で規模が最も大きい船と伝えられている=韓国国立海洋文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社

 朝鮮通信使船が来月釜山港を出港し、日本の対馬に向かう。朝鮮時代の通信使船が最後に日本に渡った1811年以来212年ぶりだ。

 釜山文化財団は19日、「先日、日本の対馬市役所の会議室で、朝鮮通信使船の対馬入港と厳原港まつり参加のための機関協約を結んだ」と明らかにした。協約内容は、朝鮮通信使船を活用した相互交流と朝鮮通信使船の対馬入港許可・協力、厳原港まつり参加、朝鮮通信使船の広報・活用などだ。

 文化財団側は来月28日、釜山市東区凡一洞(トング・ボミルドン)の朝鮮通信使歴史館と永嘉台で、通信使船の航海の無事を祈願する海神祭を開く。翌日の29日に出港式を行い、8月1日に釜山港を出港する予定だ。通信使船はその後、日本の対馬に入港し、厳原港まつりに参加する。

 厳原港まつりは1980年に朝鮮通信使行列振興会が対馬で発足して以来、朝鮮通信使の行列をまつりで再現している。新型コロナウイルス感染症で中断されて今年は4年ぶりに朝鮮通信使行列を再現する。文化財団は芸術団などを派遣し、朝鮮通信使船をまつり期間中に船上博物館として運営する計画だ。文化財団の関係者は「朝鮮通信使を媒介にした多様な事業を連携して推進し、朝鮮通信使の平和的価値をさらに広く知らせる」と話した。

 朝鮮通信使は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)が終わって朝鮮が1607年から1811年までの200年間、日本に12回送った外交使節団だ。正使・副使・従事官など3使が使節団400~500人を率いた。首都の漢陽(ハニャン)から釜山と対馬を経て、当時日本の首都だった江戸(東京)までを往復した。使節団は6カ月ほどの行程で日本の文人たちと交流し、詩や歌を交わした。朝鮮の文物を日本に伝播する役割も果たした。

 朝鮮通信使船は、朝鮮の外交使節団を乗せて韓国と日本を行き来した船を国立海洋文化財研究所が2018年に再現した木船だ。149トン級で、長さ34.5メートル、幅9.3メートル、高さ5メートルに530馬力のエンジン2基と伝統的な帆2台を使用し、平均9ノット(時速16.6キロメートル)で航海する。

キム・ヨンドン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/yeongnam/1096515.html韓国語原文入力:2023-06-19 11:31
訳J.S

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