ドナルド・トランプ元米大統領に在任期間中付きまとった疑惑の一つは、彼が「自己愛性パーソナリティ障害」(narcissistic personality disorder)を抱えているということだった。このような疑念は、民主党とマスコミだけが抱いていたわけではない。ワシントン・ポストのボブ・ウッドワードとロバート・コスタ記者の共著『PERIL危機(2001)』には、トランプ政権初期に共和党下院議長だったポール・ライアンがそのような考えを持った人の一人だったという内容が書かれている。
「ライアンは道徳観念がなく商人のような気質の人の扱い方を研究し始めた。しかし、心理学まで研究の領域を広げることはできなかった。その時、共和党の後援者であるニューヨークの資産家の医師がライアンに電話をかけて『自己愛性パーソナリティ障害とは何かを理解する必要がある』と助言し、そのような人をうまく扱う方法とこれに関するいくつかの医学ジャーナルのリンクを送ってきた」
ポール・ライアン下院議長は2018年、48歳の若さで政界引退を宣言した。表面的な理由は「子どもたちとより多くの時間を過ごすため」だったが、トランプ大統領とのあつれきが彼を政治から遠ざけたとメディアは分析した。ライアンのエピソードを思い出したのは、最近の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の行動にこれとよく似た兆候が見られるからだ。「ニブッタ(Nibbutta)の森」精神分析クリニックのイ・スンウク代表は「尹大統領はトランプ元米大統領と似ている程度ではなく、そっくりだ。心理学的側面から韓国のトランプと言っても過言ではない」と述べた。
ナルシシズムは池に映った自分の姿に恋し、自ら池に飛び込んで死んでしまった美少年ナルキッソスに由来する。ナルシシズムに陥った人は、自分が絶対的に正しい(美しい)という確信を持っているだけでなく、周りの人たちも自分を愛し、称賛し、従わなければならないと考えている。このような期待に反する行動を取れば、どんなに親しい間柄でも容赦なく突き放す。長年親交のあるナ・ギョンウォン前議員が大統領の意に反して党代表選挙への出馬を進めたことに対し、苛酷なほどの政治的圧力を加えたことや、政治入門以後、尹大統領の外交安保の指南役だったキム・ソンハン前国家安保室長を電撃的に更迭したのは、そのような例とみられる。
一方、自分を称賛し忠誠を誓う人々に囲まれていることに慣れており、それを好む。「尹核関(尹大統領の核心関係者の略語)」たちが世論の批判にもかかわらず健在である理由や、多くの過ちや物議にもかかわらずイ・サンミン行政安全部長官が更迭されなかった理由も、このような側面から理解することができる。プロ野球開幕式の日、ソウル蚕室(チャムシル)や高尺(コチョク)ではなく、遠く離れた大邱(テグ)まで行って始球をするのは、大抵の政治指導者は思いつかないことだ。歓声に飢えている内面の不安感が伺える。
自己愛の強い人たちは、自分の成果が傷つくことに耐えられない。自らの過ちを顧みるより批判する相手を、たとえそれが国民だとしても、攻撃するのに全力を傾ける。先月21日、尹大統領がテレビで生中継された国務会議で、23分間にわたり韓日首脳会談の成果を強調したのは象徴的だった。「難題だった韓日関係の懸案を自分が解決した」という誤った自己確信と欲が、突然の国務会議のライブ演説として現れたのではなかろうか。国民のプライドが傷つくことよりも、自分のメンツがつぶれることが我慢ならない大統領の性格が伺える。このような側面は、おそらく28年にわたり検事として働いてきた間に発現し、強化されたのだろう。韓国社会で検察ほど自己愛の強い組織も珍しい。
政治家にとってナルシシズムが必ずしも悪いわけではない。大統領の成功を促す強い動機を提供するという点で、ナルシシズムは両刃の剣のようなものだと、心理学者のダン・マクアダムスは「ドナルド・トランプの心(The Mind of Donald Trump) 」という題名の寄稿で指摘した。フランクリン・ルーズベルトやジョン・F・ケネディのように歴史的に評価される大統領は、多くが「強いナルシシズム」を持っていたと彼は分析した。しかし、自己愛が国家指導者に肯定的に働くためには、国民を説得し、国民とコミュニケーションを取ろうとする努力が伴わなければならない。ルーズベルトやケネディとトランプはここで決定的に違っていた。
今、龍山(ヨンサン)大統領室はどうか。BLACKPINKが出演する行事に関する報告漏れのために韓国政府の外交安保司令塔を突然辞めさせるのが正常なのか、それが本当に事実なのか、多くの国民が知りたがっているが、大統領と参謀たちからは納得できる説明がない。大邱(テグ)西門市場で尹大統領夫妻に送られた拍手を「支持層の結集」とみなす単純な思考では、民意を本当に得るのは難しい。トランプはツイッターのフォロワー数にこだわったが、尹大統領夫妻はインスタのセレブのような素敵な写真がどれだけシェアされたかにしか興味がないのだろうか。