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[レビュー]重力より「磁力」が先だった…近代科学革命の秘密

登録:2022-12-24 09:07 修正:2022-12-30 07:46
『科学革命と世界観の転換2:地動説の提唱と相克的な宇宙論』山本義隆著、キム・チャンヒョン、パク・チョルン訳、東アジア刊、23000ウォン//ハンギョレ新聞社

 山本義隆(81)は独学で驚くべき業績を上げた日本の科学史研究者だ。2003年に出版した『磁力と重力の発見』を皮切りに『一六世紀文化革命』(2007)を経て2014年に出した『世界の見方の転換』は、山本の名声を高めた科学史研究の傑作だ。この3冊の書著のうち『磁力と重力の発見』(韓国語版題名『科学の誕生』)と『一六世紀文化革命』(韓国語題名も同じ)は、2005年と2010年にそれぞれ翻訳出版された。近代科学史研究の完結編に該当する3巻からなる大作『世界の見方の転換』(韓国語版題名『科学革命と世界観の転換』)は、2019年に第1巻が翻訳されたのに続き、今回、第2巻が韓国語で出された。最後の第3巻は来年出版される予定だ。第3巻まで出れば山本の近代科学史3部作が完訳されることになる。

山本義隆//ハンギョレ新聞社

 1941年生まれの山本は、1960年に東京大学理学部物理学科に入学した。当時は「安保闘争」の真っ最中だったが、山本は政治に関心を持たず、数学と物理学の勉強に没頭した。変化は1964年に大学院に進学した後に起きた。政治に目を開いた山本は、博士課程3年目にベトナム反戦運動に参加した。さらに、急進左派の学生運動団体である全共闘(全学共闘会議)の東大議長に就き、「東大闘争」を導いた。1969年に逮捕され留置所生活を経験した山本は、出所後に博士課程を中退した。同僚の間の評価だけで業績が決定される学者の世界に嫌気がさしたからだという。大学の外に出ていった山本は、在野で研究活動を継続し、2000年代に入ると近代科学史研究を扱う大作を相次いで出した。2011年に福島原発事故が起きた後には、『福島の原発事故をめぐって』『私の1960年代』『近代日本一五〇年:科学技術総力戦体制の破綻』のような日本の現実を鋭く批判する著書も出した。

 山本の近代科学史3部作は、「なぜ欧州で近代科学が誕生したのか」という自身の昔からの問いに答える膨大な著作だ。その返事の出発点となる『磁力と重力の発見』は、「17世紀科学革命」がどのような経路で成立したのかを追跡する本だ。著者の焦点は「力の概念の登場」に合わせられている。「力の関係」で自然世界を見始めたのが決定的な跳躍点になったというわけだが、山本がその基礎として提示するのは「磁力」の発見だ。互いに離れている物を引き寄せる見えない力があることを教えたのが磁力だった。1600年にウィリアム・ギルバートが『磁石論』で、地球が磁力を持つ一種の巨大な磁石だという事実を初めて明らかにした。続いて1609年、ヨハネス・ケプラーは、太陽が磁力と同じ力で惑星を捕らえていると主張し、議論を拡張した。ケプラーの主張を受け継ぎ、アイザック・ニュートンが1687年に『プリンキピア』(自然哲学の数学的原理)で、天体間の力、すなわち重力という概念を引きだした。磁力の見えない力を通じて重力という別の見えない力を探しだしたのが、17世紀科学革命を生んだのだ。

天体の楕円運動を明らかにしたドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(1571~1630)=ウィキメディア・コモンズ//ハンギョレ新聞社

 近代科学史3部作の2冊目である『一六世紀文化革命』は、17世紀の科学革命を控えていた16世紀の文化的地殻変動を探る本だ。これまで科学史の本は、14~15世紀のルネサンスを通じて古代の科学が復活し、これが17世紀の科学革命につながったと記述して終わっていた。山本の本は、空いた空間のように残っていた16世紀を覗きみて、そこから17世紀革命の土台を見出す。この本で特に山本が注目するのは、職人、画家、商人、船員のような仕事をする人々だ。高度な人文主義教育を受けていなかったこれらの平凡な人々が、生活の現場で実験と観測により自然現象を探求し、その結果を本で出したが、17世紀の科学革命はこれらの人々が起こした文化革命を動力としたものだった。ヒマラヤ山脈の高い山々が5000メートルに達する高原の上に立っているように、17世紀の天才、すなわち、ガリレイ、デカルト、ニュートンといった物理学の巨人たちは、平凡な人々が起こした地殻変動の上にそびえ立つ山だったのだ。

地動説を唱えたポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクス(1473~1543)=ウィキメディア・コモンズ//ハンギョレ新聞社

 近代科学史3部作を完結する『世界の見方の転換』は、前作の議論を補完し拡張する著作だ。ルネサンス期に古代の宇宙論と天文学が復活した後、15世紀中頃から17世紀初期にかけての150年ほどの間に、天体研究で広がったドラマチックな世界観の変革を綿密にたどる。この時期の中心にいるのが、1543年に出版されたコペルニクスの生涯をかけての作品『天体の回転について』だ。コペルニクスのこの本は、天動説から地動説への宇宙観の一大転換を成し遂げた著作として知られている。コペルニクス以前の欧州人の天体観は、地球を中心にして天体が円運動をするというアリストテレスの自然学と、プトレマイオスの天文学の支配を受けていた。コペルニクスは、この古代の天体論を解体し、太陽を中心にして天体が回転するという新しい理論を提示した。そこで主題となるのは、地球が太陽の周囲を回る惑星の一つだという主張だ。このように地球が宇宙の中心から抜けだすことになると、伝統的な世界観は崩れざるをえない。これにより、アリストテレスの宇宙論、すなわち、地球を中心にして天体が回り、その外郭を固い天球が覆っているとする宇宙論が崩壊し、数学的に計算し目で観測する新しい天文学が前面に登場することになった。

 しかし、コペルニクスの新しい理論は、すべてのものを廃止したわけではなかった。古代の学者のようにコペルニクスは、天体が完全な「等速円運動」をすると考えた。天体が同じ速度で太陽を円形の形態で回ると考えたのだ。60年ほど後のケプラーは『新天文学』(1609)で、観察資料を通じて、太陽系の惑星は卵形の楕円運動をしており、近日点で速度が高まり、遠日点では速度が遅くなるという事実を発見した。この発見は、すべてのものは完璧な対称を成しているという古代以来の自然学的観念を解体した。天体の楕円運動を説明するには新しい動力学が必要だ。言いかえると、楕円運動を起こす見えない力を設定しなければならない。ケプラーが暗示したその力を見つけ、万有引力の法則を提示した人が、後の世代のニュートンだった。近代科学革命は、15世紀以来の150年あまりの間に成立した世界観の転換の中で始まったのだ。

コ・ミョンソプ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/1071866.html韓国語原文入力:2022-12-16 10:50
訳M.S

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