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[寄稿]なぜ性売買当事者女性の不処罰が必要なのか

登録:2022-10-04 10:14 修正:2022-10-04 10:45
性売買処罰法改正連帯関係者たちが3月22日午後、ソウル汝矣島の国会前で性売買処罰法改正連帯発足式を開き、性売買女性処罰条項の削除、性購入需要遮断などを要求している/聯合ニュース

 空港近くに建てられるという建物のモデルハウスにトイレを使うために入り、ついでに少し説明を聞いた。高級商店、ホテル、オフィステル(事務所と住居の機能を兼ねた建物)、マンションが併設されている住商複合ビル。中でもオフィステルの販売に力を入れているようだった。「こういう建物にオフィステルがあるのは…わかりますよね? 他の所より家賃を多く取れるんです」

 どういう意味なのかをいろいろな人に聞いてみたが、ほとんどが似たような意見だった。おそらく「オフィ部屋(オフィステルを利用して性売買を行う所)」として活用される可能性が高いだろうから家賃収益が保障されるという話だろうということだ。私がその言葉の意味にすぐ気付いていたら、その場で聞いていたはずだ。これが「斡旋」行為になるって知ってますか? 性売買特別法2条2項によると、性売買の場所を提供する行為、性売買に提供される事実を知りながら資金、土地または建物を提供する行為はすべて性売買斡旋行為として処罰される。問題は「知りながら」の水準が不明だということだ。「わかりますよね?」は知っていながら知らないふりをして共謀を勧める言葉だ。

 性売買関連では、たびたびこのように知っていることと知らないことがそれぞれの役割を担って、沈黙を強固にする現象がよく起きる。理髪店のサインボールが二つ回っているとか、カラオケ(ノレバン)ではなく「ノレパン」や「ノレバー」のような名前なら性売買可能な店を意味するということも、やはり知っている人は皆知っている「世間の常識」だ。常識は文化的に伝承され、欲望を自然化する力を持っているが、法的な責任からは比較的自由だ。ハナ銀行の性差別採用不正事件で分かるように、慣行として認められれば明らかな不法行為でさえ個人に責任を問うことができないという理由で無罪になる。問題は、その慣行は常に支配階級の特権を擁護する方向に動くということにある。現行法で性売買行為は「公共の社会秩序」を害するという理由で禁止されているが、その結果、権力を持った男たちの性買収が処罰されることはまず「ない」と断言できる。私たちはすでに故人となった財閥家のトップや元法務部次官、多数の検察関係者、与党の前代表などの性売買(性を買った)疑惑を皆知っている。彼らは誰も処罰されなかったということまで含めてだ。一方、性売買当事者(性を売った)女性は処罰される。公的であれ私的であれ。

 反性売買人権行動「イルム」が企画し、12人の研究者と活動家が書いた『不処罰』は、性を売った女性を処罰する社会に問いを投げかける。筆者ごとに投げかける問いは重い。「なぜ(彼らではなく)性を売った女性が処罰されるのか」(ファン・ユナ)、「販売者、購入者、斡旋者はそれぞれ同等な水準で責任を負うべき行為者なのか」(ノ・ヘジン)、「3者のうち最も脆弱な位置にいる性売買当事者女性がすべての危険を抱え込んだ結果、女性は各種の犯罪にたやすくさらされ、公私の領域にわたって二重三重の処罰を受けるのではないか」(チャン・ダヘ、ペク・ソユン)

 合法化が答えだと考える人がまだかなりいるのであえて言うが、合法化が答えではないということは、韓国の歴史ですでに何度も確認されている。合法化の下ではむしろ「辞める権利」がない。体を売ってでも借金を返すことが「可能な現実」になるためだ。日本による植民地時代に公娼制があった当時の娼妓たちは、「辞める権利」のために断髪し、廃娼運動を行った(チャン・ウォナ)。植民地時代だけのことではない。1960年代に風俗行為防止法が死文化された状況でも、性売買女性たちは保安処分を受けて強制収容されたり、「先導」という名をかかげた官辺組織から奪取された(キム・デヒョン)。性買収者と性販売者いずれも非犯罪化しようと主張する人もいる。これは韓国の巨大な性産業規模とその規模を支えてきた構造的側面を無視して放置するという主張に他ならない。韓国の金融資本主義がどのように女性集団を性売買と関連させたのかを研究してきたキム・ジュヒは、「性売買は個別女性と男性の一時的性交行為ではなく、無数の性購入レビュー、紹介、勧誘が作り出したネットワークとビジネスの中に存在する」という点を強調する。

 韓国の性売買問題の議論と運動の膠着状態を突破するためには、異なる意見を理念によって分けるのではなく、共通の基盤で広く問題を定義し、その後の戦略を考える段階が必要だ。韓国社会における問題はすべてに当てはまることだが、特に性売買関連ではそうだ。論争が必要な領域では、排除しレッテルを貼るのではなく、読み、討論し、論争をしよう。目くばせしあって「わかりますよね?」と交わす、この無責任な共謀から抜け出さなければならない。

//ハンギョレ新聞社

クォン・キム・ヒョニョン|女性学研究者

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1061155.html韓国語原文入力:2022-10-04 02:37
訳C.M

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