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韓国の労働者と日本の連帯者の人生を変えた闘争

登録:2022-08-06 02:46 修正:2022-08-06 12:23
//ハンギョレ新聞社

 1989年、日本のスミダ電機の子会社は韓国の工場に1枚のファックスを送り、450人の解雇を通知する。これに怒ったチョン・ヒョンスク、パク・ソンヒ、チョン・スンレ、キム・スンミの4人の労組幹部は、8カ月にわたる日本のスミダ本社前での闘争を開始した。そしてこのような熱情的な闘争に連帯しつつ、自らの人生を振り返ることになった日本人たちがいた。『海を越えた初恋-1989スミダの記憶』(パク・チョンスク、2010)は、今から30年あまり前に起きたスミダ遠征闘争の主人公たちと、当時連帯した日本人の友情の時間を振り返るドキュメンタリーだ。

 映画は二十数年ぶりに行われたスミダ闘争を記憶する日本の集会で始まる。日本人連帯者たちは少しぎこちない発音だが「殺人的な集団解雇を全身で拒否する!」と韓国語のスローガンを叫び、「朝露」を歌う。参加したソンヒさんを心から歓迎する顔からは、20年前の時間の絆の強さが一瞬にして連想される。

 遠征闘争団が闘争を開始した時、日本の子会社はびくともしなかった。会社は彼女たちのビザ満了ばかりを待ちつつ時間を稼いだ。交渉現場でも、怒りに震える組合員たちに向かって「可愛い」などと言い、闘争を見下し、茶化したりした。結局、労組員たちは2回にわたるハンストを行った。彼女たちの粘り強い闘争に感化されて、大学生、地域社会の活動家、労働界の人々が集会に集まり、宗教界も同調してハンストを行った。ある通訳は、交渉の際にヒョンスクさんが独り言で「私が落ちて死ななければならないのか」とつぶやくのを聞き、万が一の事件を防止するために一晩中彼女に付き添った。このような心強い日本の市民社会の連帯は、子会社の謝罪を引き出し、闘争を勝利へと導くのに大きな助けとなった。

 カメラは日本の連帯者たちがスミダ組合員たちの闘争スローガンや民衆歌謡、ダンスなどを真似したり学んだりする場面をたびたび見せてくれる。歌と踊りは彼らの心をつなぐひとつの媒介だった。歌と踊りのある闘争、そして最善を尽くして闘う韓国労働者の姿は、日本の人たちに新たなエネルギーを与えた。闘争が終わる瞬間、彼らはスミダ労組員たちに感謝の言葉を伝える。日本資本主義を省察し、自らの人生を振り返る日本人の姿は、東南アジアに工場を建てている現在の韓国の略奪的資本主義社会にとっても示唆するところが多い。

 闘争は勝利に終わったが、韓国に帰ってきた組合員たちはブラックリストに記録され、他の会社への就職が難しかったため、別の人生を歩むことになる。彼女たちは現在、労組幹部として、別の業界の労働者として、専業主婦として生きている。依然として人生は孤軍奮闘の連続だ。しかし、あの時間は自分の人生を立て直す基準として作用した。連帯者たちは沖縄平和行進に参加するなど、闘争が必要なところで連帯しつつ生きている。監督は、闘争に参加した誰もが、人生の峠や難しい局面において、あの時期を単に思い出すにとどまるのではなく、自分を肯定する力の源泉にしていることを見る。そのようにして「初恋」という単語の響きは、スミダ闘争に連帯した人々の顔を通して納得できる。そしてこの映画は、自分の人生と直接的なつながりがないと考えうる連帯者たちの献身が、社会の変化を引き出すのにどれほど大きな役割を果たすのかも力説する。映画の響きを今の私たちの現実に代入すれば、パリバゲット労働者たちのハンストのような現場には、さらに多くの連帯の動きが必要だということだ。

カン・ユ・ガラム|映画監督 『砂』(2011)、『梨泰院』(2016)、『時局フェミ』(2017)などのドキュメンタリーを制作。見応えのあるドキュメンタリーとそれにまつわる話を書く。 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1053699.html韓国語原文入力:2022-08-05 19:00
訳D.K

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