「百年店」。ソウル南大門(ナンデムン)市場の「N商会」の入り口には、誇らしげに額が掛けられている。30年以上事業を続けた小商工人に、中小ベンチャー企業部が与える「認証」だ。父親の代から3代続いて観光客に紅参と健康食品を売り、南大門市場に店を構えてきたPさん(67)は、最近事業をたたむことに決めた。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)がもたらした絶望的な状況のためだ。1カ月間店を開いても売り上げが30万ウォン(約2万7千円)前後なのに、店の賃料は1000万ウォン(約89万円)以上。店員3人を全員解雇した後も、採算を合わせる方法がなかった。5日昼、ハンギョレが市場を訪れた時、Pさんは撤去中の店を見守っていた。「商売がうまくいっていた時代には、1日に観光客が多いときで1000人も来ました。最近は一日にお客さん1人がやっと。もう持ちこたえられない」。パクさんは大きなため息をついた。
自営業者が次々に店を閉めている。半年が過ぎた「コロナ不況」に加え、首都圏では準3段階(レベル2.5)の社会的距離措置(ソーシャル・ディスタンシング)が続き、限界を超えた店主らが暖簾を下ろして廃業している。先月30日、京畿道安養(アニャン)では、飲み屋を経営していた60代の姉妹が生活苦により自殺を図る事件も起きた。準3段のソーシャル・ディスタンシングが始まって1週間を迎えた今月5日、ソウル都心の繁華街で会った自営業者らは「コロナワクチンが出なければ終わらない危機」だと話し、絶望感を訴えた。ソウルで最も賑やかだった明洞(ミョンドン)の街は、最近一軒おきに閉店しており、廃業した店舗を数える意味がないほどだ。Sソルロンタン屋やN化粧品売場など「目印」の役割をしたフランチャイズ業者さえ、休業や廃業でがらんとして久しい。観光客でいつも混みあっていた路地の零細業者の境遇はさらに悲惨だ。駐韓中国大使館近くの狭い路地に並ぶ店舗13カ所の状況を確認したところ、7カ所がすでに店主が去り「テナント募集」をしていた。
商人も観光客もいないがらんとした路地に店を構えてきたHさん(50)は「今は新型コロナ以前の売上と比較する売上自体がない。完全に底をついた」と述べた。明洞で16年間商売をしてきた彼は、この日午後4時まで“開店”すらできずにいた。せめて客が集まるところは「閉店セール」のために品物を売る店だけだった。統計庁の基準で、6月下旬の国内自営業者は6カ月前と比べると13万8000人(2.5%)減の547万3000人。すでに自営業者らが限界に達していたことを考慮すれば、COVID-19の再拡散後、自営業者数はさらに急激に減少したものとみられる。
日当で生計を立ててきた露天商も「むしろ休んだ方が得」だと口をそろえて話した。この日、南大門市場で会った露天商は「10日以上商売を休んだ」と話した。リヤカーの駐車場代など維持費が1日2万~3万ウォン(約1800~2700円)かかるが、COVID-19の再拡散後、1日2万~3万ウォンの売り上げを上げるのも容易でなかったからだ。2週間たってようやく露天商らがぽつぽつと店を開いたが、やってくる客はいなかった。南大門市場商人会のパク・ヨンギュ副会長(68)は「市場店舗数は約1万2500店だが、4000店余りが閉店した。商人たちが最も多く口にするのが『息ができない』という言葉だ」と伝えた。前例のない危機の前では、自救策も効果がない。ソウル江西区(カンソグ)でホルモン焼き屋を営んでいたCさん(38)も先月31日に廃業した。食堂だけで10年間店を続けたCさんは「こんなに大変なことはなかった」と言い、「セウォル号惨事の時も、MERS(中東呼吸器症候群)の時も、『キム・ヨンラン法』可決で官公署の周辺の商店街が死んだ時も、これほどではなかった」と訴えた。売り上げが良いときは3000万ウォン(約270万円)ほどにもなった店だが、廃業直前の月の売り上げは約650万ウォン(約58万円)で、賃貸料や人件費を差し引くと赤字だ。テイクアウトと配達で突破口を探そうとしたが、準3段階のソーシャル・ディスタンシング導入後、夜間営業まで難しくなり、店を諦めるしかなかった。仁川市西区(インチョンシ・ソグ)でカフェを営むJさん(36)も「準3段階のソーシャル・ディスタンシング発動後、スタッフたちを休ませたが、一週間延長の知らせを聞いて『もう一週間休んで』と言わなければならなかったのが本当に申し訳なかった」と言い、「新型コロナ以前に時間を戻したいという思いばかりだ」と話した