「この歌、あの人たちの前でやっていたら大変なことになってましたよ」
16日午後5時、ソウル光化門(クァンファムン)広場で開かれた第1回「全泰壱(チョン・テイル)ヒップホップ音楽祭」の最後の舞台に立ったラッパーのハックルベリー・Pは、少し興奮した様子だった。混乱の真っ只中だった。光化門広場の中心で「美しい青年・全泰壱」を称えるラップが吐きだされている時間、左側の道路には白髪の老人たちが産業化の英雄である朴正煕(パク・チョンヒ)を称える「国守護高校連合」の旗を掲げて立っていた。右側の道路では「不法権力争奪勢力、左派独裁政権退陣」を叫ぶ「我が共和党」の支持者が行進していた。
抵抗労働者の全泰壱が「青年」として生き返った。青年と労働。1970年11月13日、ソウル清渓川(チョンゲチョン)の平和市場で22歳の青年・全泰壱が「労働基準法を遵守せよ」と叫び自分の身を挺して抵抗した後、進んでは戻り、のたくっては止まりもした時計の振り子のような言葉たちだった。ある人にとって全泰壱は労働者の精神を象徴する名前だが、また別の人にとって全泰壱はたまに新聞の社会面で目にする名前だった。
永遠に縮まりそうもなかった距離感が、一節で綴られる経験は新鮮だった。全泰壱ヒップホップ音楽祭の本選に進出した12チームのうちの一つだったGPSは、ラップを始めながら独特な方言でこのような「パンチライン」(ヒップホップで同音異義語を使用した重意的表現を目的に使う歌詞)を書いた。「おいおい、おまえ聞いたか/全泰壱ってやつがソウルに行って自分の体に火をつけたって/(なんで?)デモしてそうしたって/(わー)労働法規ってやつがちゃんと守られたらそんなことしなかっただろ/そいつがしたくてやったのか/金儲けしてるやつらが全部殺したんだろ」(GPS「彼は死んだのか、彼を殺したのか」より)
音楽祭イベントの企画を最初から最後まで一緒に行なったヒップホップ第1世代のグループ、GARIONのMC METAは、「全泰壱ヒップホップ音楽祭のキーワードは『愛、行動、連帯』だ。ヒップホップのキーワードは『愛、平和、楽しさ』だ。同じ脈絡だ。『私たちは機械じゃない』と叫んだ全泰壱烈士の一喝がヒップホップだと思った」と語った。全泰壱記念館のユ・ヒョナ文化事業チーム長は「全泰壱に象徴される70年代の労働の現実が今の若者たちの現実と変わらないということから出発した。つらさ、悲しみ、苦しみの全泰壱ではなく、今の若者たちに希望を語ることのできる青年・全泰壱とは何だろうかと考えていたところ、青年・全泰壱が不義に対抗する方法は実践の前に文を書くことであり、それが今のラップの歌詞ではないかと思い至った」と語った。
9月16日からオンラインでの受付を開始した全泰壱ヒップホップ音楽祭には、1、2次審査の間に約400チームが応募した。最終公演には計12チームが選ばれ、優勝者なしで3チームを受賞者に選定した。受賞者には賞金100万ウォンが授与され、音源は製作され発表される予定だ。最終3チームは『芸術家』を歌った「シンジン」、『無題』を歌った「ジープ」、『俺はもう成功した』を歌った「Joob A」が選定された。最終審査を担当したラッパーのDeepflowは、「検証された人たちが数多く参加し、非常に抜群の実力を見せつけたチームが多かった。テーマがはっきりしていたコンテストだっただけに、歌詞とコンセプトに特に耳を傾け、最終的には曲とラップの完成度を追求した」と語った。
韓国のヒップホップ音楽が「抵抗のスタイルを標榜しているが、むしろヘイト表現や過度な自己誇示ばかりを繰り返している」という批判が多かったなか、全泰壱ヒップホップ音楽祭は韓国のヒップホップ音楽の新たな可能性を示したと評価されている。MC METAは「『スワッグ』(自己誇示)と『フレックス』(金自慢)に代弁される商業的成功ばかりを追う韓国ヒップホップの現実で、全泰壱ヒップホップ音楽祭でなければ絶対に聞くことができない歌が出たと思う。全泰壱ヒップホップ音楽祭がユ・ジェハ音楽コンテストのように実力のあるヒップホップミュージシャンの登竜門になれば」と願いを語った。
「ミレニアル世代」に全泰壱を知らせようという企画意図も、ある程度成果をあげたようだ。最前列で公演を観覧したキム・ヘミンさん(27)は「全泰壱についてよく知らなかったが、ヒップホップで歌うと聞いたので来た。全泰壱というテーマでそれぞれのスタイルで音楽を作ってきたミュージシャンたちの情熱がすごいと思った」と話した。