私は20年前にソウルでその夫婦に会った。彼らの道は特異で悲劇的だった。夫は金日成(キム・イルソン)大学を卒業した北朝鮮の秀才だった。彼は1980年代に留学生としてソ連に行き、現地の女性と運命的な愛に陥った。北朝鮮は1962年以降、大抵の場合、国際結婚などを許さなかった。結局、愛と祖国のはざまで葛藤し、彼は前者を選んだ。ちょうどソ連が崩壊の過程に入り、西方を経由してソウルに入り、脱北と定着の手続きを踏むことができた。完璧なロシア語と情報技術(IT)能力で武装した彼は、すぐに旧ソ連出身のエンジニアを集めてベンチャー企業を作り、成功に導いた。韓国の保守新聞は彼を「脱北者にとって模範であり希望となる人物、韓国は機会の地という事実を世界に知らしめた人物」だと国内外に広報した。
しかし、私はその夫婦の姿から「コリアンドリーム」を実現したという喜びを全く感じることができなかった。彼らは一言で、韓国での生活に疲れ果てた様子だった。「苦難の行軍」が終わったその時代に韓国に来た多くの脱北者とは異なり、彼らは経済的に余裕があった。にもかかわらず、北朝鮮の方言が聞こえると白い目で見て、北朝鮮出身だという事実が知られると危険で異質な者扱いをする雰囲気に深く傷ついた彼らは、これ以上、韓国生活に耐えられないと訴えた。彼らは「帰順者」のような「非正常者」扱いされず、ただ人と同じ“一般的な”社会構成員として韓国社会に統合されることを望んでいた。結局、彼らは脱北に続き、脱南まで敢行し、ある欧米の国に定着した。後で聞いた話によると、血統や民族の面で縁もゆかりもないその地で、彼らはむしろ韓国に比べてずっと幸せに暮らしているという。韓国に住んでいたころは、韓国人の視線を負担に感じて、主に同じ脱北者や旧ソ連出身者とだけ交際していた彼らは、外国に出て初めて現地社会の一員になることができた。
北朝鮮出身者を韓国社会が統合できない理由を、長年の分断や敵対の影響、まだ強く残っているレッドコンプレックスなどで説明できるかも知れない。しかし、外部出身に対する社会統合の失敗は、北朝鮮出身だけに限られたものだろうか。私がこの20年余りの間、韓国で会った外部出身者らは、数百人に達する。彼らの中には経済的な困難と苦しい労働に耐えなければならない中国朝鮮族出身や中央アジアの高麗人出身、北朝鮮出身者もいれば、俗称SKY(ソウル大学、高麗大学、延世大学)など名門大学で教鞭を取りながら、かなりの年俸をもらって、不自由なく暮らしている米国または欧州出身者もいた。人権侵害にあってきた弱者もいたが、比較的順調に暮してきた中上層の構成員もいた。経済的レベルも、国籍や人種も様々である韓国の中の外部者たちに見られるたった一つの共通点は、彼らのうち誰も、「私の子どもたちも子々孫々この地で暮らせる」という強い所属感を感じていないことだった。
正確に言えば、韓国社会は彼らがそのような考えを持たないようにしてきたと言えるだろう。「SKY」で「教授」と呼ばれ、地価が非常に高い金持ちが集まる地域に住んでおり、羨望の的となっている米国のパスポートを所持する人々でさえ、「私は韓国の大学で展示品に過ぎない。韓国人権力者に睨まれたり、これ以上必要とされなければ、いつでも追い出されるという不安を毎日感じる」と打ち明けるほどだ。植民母国に比肩する影響力を韓国に及ぼす国から来た裕福な高学歴者さえもそう感じるなら、工事現場で働くウズベキスタンの高麗人や食堂で働く「延辺のおばさん」(朝鮮族)が、果たして韓国社会をどのような目で見るだろうか。
韓国は、朝鮮半島の国に対する排他主義的な敵対感をあおる日本の安倍晋三首相のような極右政客を批判する正論を展開してきたが、実は外部系統の住民が体で感じる社会的排除のレベルからすると、韓国はむしろ日本にかなり近い。韓日両国は世界的に最も成功した圧縮的近代化の事例に挙げられるが、これらの国に住む外部者が体感するのは、近代社会らしい開放性というより非常に強い閉鎖性だ。その理由は何だろうか。おそらく韓国と日本が産業化された世界で女性の地位が最も低い社会として知られている理由と同じだろう。韓日両国で近代化を主導してきたのは保守的既得権層であり、彼らが望む近代とは人間の解放よりも富国強兵だった。この富国強兵の開発主義的計画の中では、男女平等や外部者に対する開放性が入り込む余地はなかった。
韓日と同じ方式の「反動的近代主義」は軍隊や軍隊にそっくりな国家官僚機構などが社会の準拠集団になることを意味する。この官僚集団は通常、互いに類似家族関係を維持する名門大学の先輩と後輩のネットワークによって掌握されるが、軍部隊や中年男性中心の名門大学出身のネットワークは、その属性上、部外者に簡単に開放される組織でもなく、男女平等をきちんと実践できる組織でもない。韓国や日本で近代社会を支配してきたもう一つの主要組織は、まさに特定族閥や年功序列の高い年上の役員たちが運営する大企業だが、その組織も開放的であるはずがない。
その中で排除されるのは外国人だけだろうか。実際、極度に位階序列化している韓国ないし日本式の組織文化では、排除されない人々は出身国家や国籍を問わずむしろ少数だ。女性や、学歴がない者、特定族閥の構成員ではない者、組織に入ったばかりで経歴がない者、非正社員たちは、排除されるか、さまざまな嫌がらせや個人的搾取の対象になる。平等が構造的に不可能な「反動的近代」は、内部者さえも一列に並べ、その下位集団に属する人々を排除していじめるのに、ましてや外部者はどうだろうか。
平等が存在しない序列的社会の統合能力はゼロに近い。そのため、脱北行列に劣らず、脱南行列も続くのだ。上述したように、愛を求めて脱北を敢行した金日成大学出身の留学生は、韓国で成功してからも一日も心安らかに暮らすことができず、平等と社会統合を求めて再び脱南を余儀なくされた。平等がなければ、すなわち主流のような経済力や学歴がなくても、同じ人間であり、市民、住民として、同等に接する社会的慣行が定着しなければ、容姿やパスポートの色が異なる人々まで包み込む社会に生まれ変わることはなおさら不可能であろう。平等と社会的序列意識の破壊は、社会統合の前提条件である。そして高齢化と超少子化の時代には、社会統合、移民者が容易に定着し、代々一緒に暮らせる社会の出現こそが、大韓民国の核心的な長期国家課題にならなければならない。