日本の対馬で済州4・3事件の犠牲者の慰霊祭が開かれた。9月29日に開かれた「第3回済州島4・3事件犠牲者 対馬・済州慰霊祭」と、4・3を想う日本人により構成された「4・3漢拏山の会」が主管し、在日朝鮮人で詩人の金時鐘(キム・シジョン)氏など日本と済州の4・3関係者が主催した。
この日午前8時から上対馬の佐護湾で行われた慰霊祭は、4・3と朝鮮戦争の時期に漂着した数百体の遺体が収容された海辺に建っている供養塔の参拝に続き、近くの湊浜シーランドにて済州クングッ保存会のソ・スンシル会長など会員たちが、慰霊クッ(朝鮮半島の伝統的な祭儀)を執り行った。
この日の慰霊祭に参加して供養塔の前に立った詩人の金時鐘氏は、「対馬は(1948年の)4・3と1950年前後に朝鮮半島から漂着した数百体の溺死したり虐殺された遺体を収容して、彼らの魂を慰める供養塔も建立した。英霊がたてるような対馬の波の音を聴きながら供養塔の前に立つと、犠牲者が私たちに会いに来るかのようである」と感慨を明らかにした。金氏はまた、「済州4・3や朝鮮戦争前後にあった予備検束者の虐殺、南北に分断された朝鮮半島の民族的悲劇さえも、帝国日本の植民地統治に由来する。この供養塔は、犠牲者の慰霊に留まらず、韓国と日本の民心を宥めてくれる慈しみ深い塔として、慰霊者が絶えず訪れる役割を果たすだろう」と語った。
この日、慰霊祭を推進してきた4・3漢拏山の会の長田勇顧問は、「対馬と済州を繋ぐ4・3慰霊祭は、国境を越えて韓日両国の民衆がやり遂げなければならない運命にある」と語った。
湊浜シーランドで開かれた慰霊クッでは、水難事故で亡くなった魂を地上に上げる、龍王ジルチギ(済州の伝統的な慰霊の踊り)などで犠牲者を慰めた。
佐護湾にある供養塔は、対馬市民の江藤幸治氏(62)の父親の江藤光氏が、1950年前後に漂着した韓国人の遺体を地域住民とともに収容して英霊を慰めていた遺址を集めて、2007年5月に遺体を埋葬した場所に建てられた。供養塔には、「朝鮮戦争の戦火により犠牲となった老若男女の遺体が朝鮮半島から海峡の荒波に乗ってここまで漂って来た。その数は数百に至る」と書かれている。当時の対馬新聞によると、「手首を針金で、足首は紐で縛られた遺体もあった。対馬厳原の西側の浜辺に漂着した遺体は、科学的に見て済州から流れてきた遺体だろう」と書かれている。これに先立ち4・3漢拏山の会は、4月に済州市健入洞(コニプドン)の酒精工場跡地にて、4・3での行方不明者の慰霊祭を行いもした。