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ソウル市、日帝侵略の歴史を記憶する南山“国恥の道”造成

登録:2019-08-28 21:38 修正:2019-08-29 07:48
日帝の統監官邸があったソウル市中区の記憶空間に国権喪失の歴史を記憶する“国恥の道”を表示する「キオク」(ㄱ)文字型のロゴの敷石が設置されている。市民が歩きながら恥辱に耐えなければならなかった時代の痛みを体験できるようにするためだ//ハンギョレ新聞社

 ソウルの南山(ナムサン)は、日帝侵奪の痛みが染みついたところだ。1910年8月29日、大韓帝国を強制併合した日帝は、1925年に明治天皇と自分たちの建国神である天照大神を崇拝する「朝鮮神宮」を南山に建てた。これに先立つ1906年に朝鮮併合の礎石となった「統監府」が建てられたのも、日本人集団居住地が造成されたところも南山だった。その恥辱が染みた空間が「記憶空間」に変貌した。

 ソウル市は28日、韓日併合条約が公布された国恥日である8月29日に南山のふもとの芸場(イェジャン)地域に約1.7キロメートルの「国恥の道」造成を終えて開幕式を開くと明らかにした。国恥の道のコースは、南山の芸場エリア再生事業の一環で南山歴史調査の結果を基に造成された。この道は、韓日併合条約が締結された統監官邸跡から始まる。1906年に設置された統監官邸は、1910年から1939年まで朝鮮総督の官邸として使われた。1910年8月22日に強制併合条約が締結された場所でもある。道に沿って歩くと現れるソウルアニメーションセンターは統監府跡だった。統監府は強制併合以後には朝鮮総督府として使われ、独立活動家の金益相(キム・イクサン)義士が爆弾を投じたところだ。朝鮮総督府は、1926年に景福宮の新庁舎に移転し、南山にあった旧総督府の建物は1950年の朝鮮戦争の時に消失した。

国恥の道に造成された南山の記憶空間~朝鮮神宮跡地//ハンギョレ新聞社

 ここをすぎれば日帝の軍神としてあがめられた露日戦争の英雄、乃木希典を追悼するための「乃木神社」跡と、清日戦争戦勝後に日帝が建てた「甲午戦争記念碑」跡、「京城神社」跡が続く。甲午戦争記念碑跡と京城神社跡には、現在は崇義女子大が建っている。道は南山植物園があった場所まで続くが、ここは日帝が1925年に作り植民地政府の国家儀礼を執典し、韓国人を強制的に神社に参拝させた「朝鮮神宮」跡でもある。道の終端には、14日の慰安婦メモリアルデーにソウル市が設置した「慰安婦」被害者記念碑が造成されている。市は、国恥の道の敷石に“道”を形象化して歴史を“記憶”しようという意味で、キオク(ㄱ)文字の形のロゴを刻み、国恥の道の各歴史現場にも“キオク”形の案内板を設置した。

ソウルの南山に日帝が建てた韓国統監府と現在の姿//ハンギョレ新聞社

ソウル、南山に日帝が建てた朝鮮神宮と現在の姿//ハンギョレ新聞社

 国恥の日である29日には、武装抗日闘争を率いた友堂 李会栄(イ・フェヨン)先生の孫であり3・1運動100周年ソウル市記念事業委員長のイ・ジョンチャン氏と、共に民主党のイ・ジョンゴル議員をはじめ、白凡 金九(キム・グ)先生の曽孫子のキム・ヨンマンさん、趙素昴(チョ・ソアン)先生の孫のチョ・イルレさんなど、独立有功者の子孫がこの道を歩く計画だ。

 一方、29日にソウル市龍山区(ヨンサング)の植民地歴史博物館では、独立活動家の子孫と共にする庚戌国恥日(韓日併合条約公布日)追悼式が開かれる。「国恥の日を知っていますか?」というタイトルの特別展をはじめ、オーケストラと声楽家の「国恥歌」「国恥日の歌」などの公演が続く。

チェ・ユンテ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/capital/907468.html韓国語原文入力:2019-08-28 19:42
訳J.S

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