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全斗煥、39年ぶりに光州の法廷に立つ

登録:2019-03-11 08:03 修正:2019-03-12 07:54
全斗煥元大統領=資料写真//ハンギョレ新聞社

 軍事政権の独裁者、全斗煥(チョン・ドゥファン)氏が光州(クァンジュ)の法廷に立つ。

 光州地方裁判所刑事8単独(チャン・ドンヒョク部長判事)は11日午後2時30分、光州地裁201号大法廷で、故チョ・ビオ神父の名誉を毀損した疑いで起訴された全斗煥氏(88)の初公判を開く。裁判部は昨年5月から4回にわたり認知症とインフルエンザなどを理由に公判に出席しなかった全氏に拘引状を発行した。全元大統領は7日になって、拘引状況を避けるために夫人イ・スンジャ氏(79)とともに出席すると明らかにした。

 全氏が光州で5・18光州民主化運動に関連した裁判を受けるのは初めてであり、光州を訪れるのも1988年の退任後初めてだ。全氏は在任時には1980年と81年、82年、87年の5回訪問した。全氏は5・18民主化運動と関連し、1996年には内乱罪で起訴され、1審で死刑、3審で無期懲役刑を言い渡された。しかし1997年12月、金大中(キム・デジュン)当時大統領当選者の要請により、国民大和合のため、赦免・復権され、釈放された。しかし、全氏は処罰された後も自分を正当化する“2次犯罪”を犯し、今回再び起訴された。

 今回起訴された理由は、全氏が2017年4月に発刊した回顧録で、5・18と関連して70件あまりの事実を歪曲したためだ。例えば、「5・18当時、ヘリコプターの機銃掃射(機関銃射撃)はなかったため、チョ・ビオ神父がヘリコプター射撃を目撃したというのは歪曲された悪意的な主張だ。チョ神父は聖職者という名にふさわしくない破廉恥な嘘つき」だと主張した。これによって、チョ神父の遺族は同月27日、全氏を死者名誉毀損の疑いで告訴し、検察は翌年5月3日、全氏を裁判にかけた。

4月の全斗煥回顧録の発刊について、光州5・18記念財団のサランバン(接客室)で5・18記念財団と3つの5月団体(遺族会・負傷者会・拘束負傷者会)の代表らが対応策を発表している//ハンギョレ新聞社

 裁判の争点は、ヘリ射撃が虚偽事実なのか、回顧録を書く時にこの内容が虚偽という認識と意志があったのか(故意性)に圧縮される。ヘリ射撃はすでに国防部の調査と検察の捜査を通じて、客観的な証拠が確保されている。故意性があったかどうかは法的攻防が予想される。全氏側は知らなかったと主張するが、検察は少なくとも未必の故意を立証し、有罪を引き出す方針だ。民主社会のための弁護士会のキム・ジョンホ光州全南支部長は「回顧録は2017年4月3日に出版され、国立科学捜査研究院が全日ビルでヘリ射撃の弾痕約150個を確認したと発表しメディアで大きく扱われた日付は3カ月前の同年1月12日だった」と述べた。

 光州市民は、全氏の裁判に高い関心を示しながらも、感情的に対応してはならないと慎む雰囲気だ。5月団体と市民団体は、全氏が通過する道でプラカードを持ち「人間の鎖」を開くことにした。光州地裁の前には、当時光州上空にヘリが飛んでいる写真を展示する。

 延禧洞(ヨンヒドン)の全氏の自宅前も混雑が予想される。同日の朝7時30分頃、保守団体のメンバー数百人が「光州裁判反対」集会を全氏の自宅付近で開催する計画だという。全氏の光州行きには、ソウル西大門(ソデムン)警察署所属の2チーム11人の警察官が同行する。普段全氏を警護する5人前後の人員も同時に動く。

 自宅を出た全氏が、何か言葉を発するかどうかにも関心が集まっている。1995年12月2日、検察から召喚の通報を受けた全氏は、延禧洞の自宅前で取り調べに応じないという「路地声明」を発表した後、慶尚南道陜川(ハプチョン)の故郷に向かった。当時、全氏は検察捜査を「政治報復的行為」と批判した。

アン・グァノク、チョン・デハ、イ・ユジン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/885334.html韓国語原文入力:2019-03-10 20:54
訳M.C

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