まもなく8月15日を迎える。今年の8月15日には特別な感慨を覚える。というのは、来年5月に明仁天皇が退位するので、今の天皇のもとで敗戦の日を迎えるのは今年が最後となるからである。第2次安倍晋三政権が発足し、戦後レジームからの脱却という方向性の下で憲法改正へ向けた動きが活発になることに対抗するように、天皇は、政治的発言ができないという憲法上の制約の中で、平和を守るために憲法を擁護することの重要性を説いてきた。次の時代に憲法をめぐる雰囲気がどうなるか、憲法擁護の側にとっては憂慮される。
8月15日とは、日本人のほとんどは日本が米英を相手にした戦争の敗北を認めた日だと理解している。それは間違いではないが、的確な理解でもない。この日は、日本が昭和天皇の名のもとにポツダム宣言の受諾を世界に宣明した日である。このことの意味を、安倍首相をはじめ多くの日本人が理解していないことが、日本の民主政治やアジア諸国との関係において大きな欠落をもたらしている。例えば、なぜこの日を隣の韓国は光復節として祝うのか、わからないだろう。
ポツダム宣言は、日本に対して軍国主義を捨てて民主主義国家にもどること、そして日清戦争以後帝国主義政策で獲得した植民地を放棄することを要求している。この宣言が発せられて日本が受諾するまでには半月以上の空白があった。その間、広島、長崎の原爆投下があり、ソ連の対日参戦があった。当時の日本の指導者が即時に宣言を受諾していれば、たくさんの命が救われ、戦後の世界の姿も変わっただろうと思うと、大きな悔いが残る。それにしても、それだけの犠牲を払って日本は宣言を受諾した。帝国主義国家としての道筋と戦争を否定し、平和と民主主義の国になることは世界に対する約束である。宣言を「つまびらかに読んでいない」と平然と述べた安倍首相などは、この責務を理解していないというしかない。
実は、天皇こそポツダム宣言の意義を理解し、これを忠実に履行しようとしているのではないかと想像する。敗戦時の指導者が宣言の受諾をめぐって逡巡したのは、国体(天皇制)が存続できるかどうか不安だったからである。また、戦後体制の再構築の過程では、昭和天皇の戦争責任を問うべきという声が連合国に存在した。占領の主体であった米国は早い段階から天皇制の温存を決断した。しかし、日本に対する厳しい国際世論を説得するためにも、ポツダム宣言の趣旨を具体化する新憲法を制定し、日本の非軍事化、民主化を内外に宣言する必要があった。昭和天皇が存命の時代には、戦前と戦後の連続性を否定しきれなかった。現天皇は、戦後の日本が戦前とは異なる平和国家となったことを「象徴」する存在となった。天皇の発言の端々から、そのような決意がうかがわれるのである。
安倍政権は様々な疑惑、腐敗のゆえに、国民の支持を失いつつある。対抗勢力があまりに弱体なので、政権の継続は当分確実だが、憲法改正の機運はしぼんでいる。しかし、2020年の東京オリンピックに向けて、「一億一心」のナショナリズムと同調圧力が高まることが予想される。その中で改憲発議もなされるかもしれない。平成最後の8月15日には、ポツダム宣言の意味をかみしめたいと思う。