「初級フランス語会話(1)、フランス名作読解、フランス語作文(1)、フランス語リスニングと発音練習(1)、多文化社会の理解、韓国の世界文化遺産、社会奉仕.」
大学2018年度新入生の時間割ではない。韓国外大フランス語科73年度入学生イ・ドンソク氏(66)の2018年1学期の時間割だ。14日、ソウル市東大門区(トンデムング)の韓国外大キャンパスで会ったイ氏は、新入生のように浮き立っていた。「初めての授業で教授が出席をとり、敬称は省略すると言ったが、私だけ『イ・ドンソク先生』と呼びました。『他の学生と同じようにしてほしい』と言うと『はい、先生』と言われました。教授にも私の扱いが難しいようです」
日本で生まれた在日同胞2世のイ氏は、高校3年の時に民族名を使う“実名宣言”をするまでは“ホシウラフミオ”という日本名を使っていた。アイデンティティの混乱を克服し、民族名を取り戻したイ氏は、母国語を学びに1971年に母国留学生制度を通じて韓国に渡り、1973年に韓国外大フランス語科に入学した。演劇会活動にどっぷり浸かり、勉強はあまりせず遊ぶのに忙しかったイ氏の大学生活は、1975年11月22日、国軍保安司令部(保安司・現国軍機務司令部)の捜査官が下宿に押しかけて来たことで幕を下ろした。1カ月以上にわたり不法監禁され、殴打、倒立、ボールペンで指をひねられるなどの拷問を受けた。1976年12月、最高裁(大法院)は国家保安法・反共法違反とスパイ罪を認め、イ氏に懲役5年の刑を確定宣告した。
1980年に解放されたイ氏は、幸せだった大学生活が懐かしく復学を夢見たが、新軍部の軍事クーデターでまた別の独裁政権下に置かれた韓国の現実は、それを許さなかった。彼は結局、日本に戻って工場などで働き、暮らしを続けた。そうするうちに2015年9月10日、ようやく決心した再審で拷問と証拠不十分で無罪が確定し、2017年5月16日に国家損害賠償訴訟も終わると、イ氏は長年の夢を再び抱いた。「国家が補償するというのは、これ以上は文句を言うなということですが、それで終わりではないでしょう。私が回復して自分の恨を解くために何かしたかったのです。良い記憶として残った学生時代を思い出しました」
イ氏は、再審無罪と損害賠償で取り戻せなかった“青春”を、自分で探しに出かけた。語学研修のために昨年7月、フランスに発ったイ氏はニースとパリで6カ月間勉強した。研修を終えると再入学準備のために韓国を往来した。学科の助けがあり4学年に再入学したが、基礎実力を積むために1学年の専攻科目と卒業に必要な教養科目を受講することにした。
「この歳で語学を再び習うというのはおかしく見えるかも知れないが、私は新たな人生を始めます。学校を去る時は自分の意志ではなかったが、私の決心で取り戻したいことを見つけました。耳もよく聞こえず、記憶力も悪くなって、勉強は難しいけれど、2歳の孫に必ず卒業すると約束しました」。開講パーティーが真っ最中の韓国外大前で、晩学徒イ氏が43年間胸にしまっておいた学究熱を燃やした。