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「骨ひとかけらでも探したかったが…もうセウォル号のそばから離れます」

登録:2017-11-17 07:57 修正:2017-11-17 09:49
今月16日、セウォル号未収拾者家族たちが木浦新港で記者会見を開き、事故発生から3年7カ月経った同日、セウォル号のそばを離れると明らかにしている//ハンギョレ新聞社

 「国民の一心でセウォル号が引き揚げられました。私たちはここを離れますが、希望の紐を緩めません。船体の調査過程で骨のかけらでも見つかれば、暖かい場所に移してあげたいです」

 16日、木浦(モクポ)新港で未収拾者の家族らは「もうセウォル号から離れざるを得ない」と宣言した。惨事が発生してから3年7カ月が経った。家族たちはお辞儀をして別れを告げた後、セウォル号の冷たい影のなかで声を上げて泣いた。見つけられなかった家族への恋しさと会いたさをあきらめ、何も持たず帰らねばならない現実を受け入れるにはつらすぎたのだろう。同日の記者会見には、木浦新港を離れる悲痛な心境があふれ出ていた。会見の途中で檀園高校のキム・ヨンイン君の母パク・ジョンスンさんは足の力が抜けて埠頭の地べたに座り込み、檀園高教師のヤン・スンジンさんの妻ユ・ベクヒョンさんは悲しみを抑えられず顔を覆って号泣した。事件以後、珍島(チンド)体育館(2014年4月16日~11月11日)、彭木(ペンモク)港(2014年11月12日~2017年3月31日)、木浦新港(2017年4月1日~)で1311日は血のにじむような待機の月日だった。セウォル号が落とした影は深く暗かった。

今月16日午後、木浦新港鉄材埠頭にセウォル号が据え置かれている。未収拾者家族たちは同日、記者会見を開き、未収拾者を胸にしまって18日に木浦新港を離れる方針だと明らかにした/聯合ニュース

 「一部の苦々しい視線をわかっていたが、家族会いたくてあきらめられなかった。骨のひとかけらでも暖かい所に移してあげたかった。もうこれ以上捜索は無理な要求であり、支持してくれた国民をこれ以上悲しませてはならないという結論を下した」

 船体捜索が最終段階に達したが、家族を探すことができず、悲痛と苦痛を抱いて愛する家族を胸にしまうことにした。彼らは「国民の一心でセウォル号が引き揚げられた。このような国民の心情がわかるので、果敢に離れることを決めた。もう私たちの家族たちとともにセウォル号に対する悲しみを少し手放してほしい」と話した。ナム・ヒョンチョル君の父のナム・ギョンウォンさんは「急に決定したわけではない。ずっと残り続けるのが本当に犠牲者たちのためになるのか、これまで何度も自問した。それで捜索が終わる頃、生活の場に戻って生きている者は生きなければならないと判断した」と話した。

 家族たちは命をかけて努力した潜水士をはじめ、珍島郡民や珍島漁民、ボランティアなどを一人ひとり名前を呼び感謝の意を表した。彼らは18日午前、木浦新港で4大宗教団体の祭礼を行った後、合同告別式を行う。続いて入棺した遺品を安山・ソウルなどの本拠地に移送し、20日まで三日葬を行うことにした。

 檀園高校生徒のナム・ヒョンチョル、パク・ヨンイン君、教師のヤン・スンジンさんなど3人は安山(アンサン)第一葬儀場で葬儀を行い、平沢(ピョンテク)の西湖公園に安置される。一般人乗客のクォン・ヒョクギュ・ジェグン父子の2人は、ソウル峨山病院の葬儀場を経て仁川家族公園のセウォル号一般人犠牲者追悼館に行くことになる。

 犠牲者遺族20人余りも、複雑な気持ちで未収拾者家族らの別れの挨拶を見守った。4・16家族協議会のチョン・ソンウク引き揚げ分科委員長は「申し訳なく、残念なばかりだ。彼らが木浦新港を離れても、遺族らが現場を守り船体の収拾と調査過程をくまなく見守る」と話した。

木浦/アン・グァンオク記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/819403.html 韓国語原文入力:2017-11-16 21:49
訳M.C(1715字)

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