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[ニュース分析]朴大統領の教科書国定化に潜む「軍事クーデター・維新体制」合理化

登録:2015-10-20 10:59 修正:2015-10-20 16:28

1989年の放送インタビューで
「維新独裁で長期政権」との指摘に
「青少年にそんなふうに教えるとは
なんと大きな歪曲か」と強く反論
政治的に困難な時期を除き
“父親の名誉回復”に執着

1978年に奨忠体育館で開かれた第9代朴正煕大統領就任式。朴槿恵大統領がファーストレディとして参加している//ハンギョレ新聞社

 「父に対する罵りが続いた。私はただじっとしているだけではなかった。私の目に映った父には、その人の祖国、大韓民国以外の私心は決してなかった…。過ちを正し父の汚名をそそがなくてはならないという一念で…」(2007年自叙伝)

 9歳の令嬢から22歳でファーストレディに、46歳に国会議員になり60歳で大統領になるまで、朴槿恵(パク・クネ)大統領にとり父は「私心のない祖国近代化の表象」であるだけだ。朴大統領は父に対する「歪曲」を正す「再評価」を一生の課題と思わせるような発言を何度も繰り返してきた。

 歴史学界と教育現場、市民社会の反発にもかかわらず、政府・与党が韓国史教科書国定化を押し通そうとする“動力”の中心には朴槿恵大統領がいる。セヌリ党は「歴史教科書国定化が維新回帰・政権美化・御用教科書になるという主張には根拠がない」と積極的に対抗している。だが「5・16(軍事)クーデターと維新体制は避けられない選択」であり「父は独裁者ではない」と主張するなど、朴大統領の一貫した“合理化”発言を振り返ると、「父の汚名をそそぐための娘の意志」が歴史教科書を変えようとしている憂慮を消し去ることができない。

 「5・16は救国の革命だった。5・16と維新がなかったなら大韓民国は存在できなかっただろう。国がなくなろうとしていたのに民主主義を中断させたという話がどこから出てくるのか理解できない」。朴大統領は1989年に「10年ちっ居」に終止符を打ち、約2時間の放送局とのインタビューでこう語った。父が維新独裁で長期政権をしたという指摘に対し「これから育っていく青少年にそんなふうに考えさせるのはどれほど大きな歪曲か」と生徒たちが習う歴史内容に対する不満を強く表わした。

 「父は維新憲法改正後に退き平和に過ごすことを希望した」として「18年独裁者」の政権委譲を主張したこともある。また自身が経験していない歴史的事実である父の南朝鮮労働党の経歴については「間違い」だと言い切った。

 政治家として世論の公論の場に登場した後も、その態度は大きく変わらなかった。2007年に当時のハンナラ党大統領候補選挙戦を控え出版した自叙伝『絶望は私を鍛え希望は私を動かす』では、「父が成し遂げたことを蔑み無惨に引き摺り下ろしただけでは物足りず、墓の中にいる父に対する人身攻撃は度を越していた」と歪曲と背信に対する強い敵がい心を表わにした。

 朴大統領が5・16クーデターと維新体制などに対する評価を留保したり一部反省する発言をしたのは政治的に困難な時だけだ。2012年の大統領選挙を控え人民革命党事件に関連し「二つの判決」発言を撤回したのが代表例だ。

 「朴槿恵は父を『単に父としてでなく国家と世界に対する見識を持てるようにしてくれた先輩であり師匠であり羅針盤のような存在』と話す…。彼女の歴史観や個人的価値観も当然、父性コンプレックスの影響の下に置かれるほかない」。精神科専門医のチョン・ヘシン博士は2005年に朴槿恵大統領を「永遠の少女が持つ父性コンプレックス」と分析したことがある。チョン博士は16日、ハンギョレとの通話で「当時の分析は今でも変わらない」と話した。

キム・ナムイル記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-10-19 21:37

https://www.hani.co.kr/arti/politics/bluehouse/713568.html 訳Y.B

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