本文に移動

[インタビュー] 「夫の死刑から40年が過ぎたが、再び維新時代が訪れたようで怖い」

登録:2015-04-09 07:43 修正:2015-04-09 08:25
1974年に人民革命党再建委事件で死刑になったハ・ジェワン氏の妻イ・ヨンギョさんが7日、大邱・大賢洞の整形外科病室で夫の遺影に触れている オ・スンフン記者//ハンギョレ新聞社

 「朴正煕(パク・チョンヒ)が晩年に人民革命党事件を後悔したですって? だけど今、再び維新時代になったようで…。時局の雲行きが怪しく何かを話すのが怖いです」

 40年の悔恨の末の恐れが滲み出ていた。「酷い歳月でした。夫が死刑になって40年が過ぎたけど、あの日が昨日のことのようです」。イ・ヨンギョさん(78)にとり1975年4月9日以後の40年、1万4600日は、一日たりとも苦痛と願望から抜け出すことができない日々だった。その日、彼女の夫のハ・ジェワンと、ト・イェジョン、イ・スビョン、ソ・ドウォン、キム・ヨンウォン、ソン・サンジン、ウ・ホンソン、ヨ・ジョンナムの8人に対し、西大門(ソデムン)にあったソウル拘置所で死刑が執行された。大法院(最高裁)で確定判決が下された翌日のことだった。

 “司法殺人”と呼ばれた「人民革命党再建委事件」被害者が無念の死に追いやられ9日でちょうど40年になる。1974年の暴圧的な緊急措置で維新体制を続けようとしていた朴正煕政権は、ハ氏らを全国民主青年学生総連盟(民青学連)の背後勢力と決めつけ、彼らが北朝鮮の指令で地下組織の人民革命党再建委を結成し、韓国政府を転覆しようとしたと発表した。

「地下組織」の脚本に沿った1、2、3審
家族には「真っ赤な烙印」による別の刑罰
死刑33年目にして再審で無罪判決
「時局の雲行きが怪しく話すのが怖い」

 7日、大邱(テグ)・大賢洞の病院に入院中のイさんに面会した。スパイを捕まえる「特務隊」で5年間服務した夫がスパイだという政府発表を、彼女は到底信じることができなかったと語った。「1審で死刑が宣告されると夫が傍聴席に座っていた私を振り返り、首を横に振って軽く笑ったのです」。法廷では夫が自分をひと目で分かるようにいつも同じ服を着ていたというイさんは、大法院判決当時を思い起こすと今でも呆れ果ててしまうと言う。「夫の顔を見ようと法廷に行くと、被告人もいないのに『上告棄却、死刑』と判決したのです。家族が泣き叫んで抗議すると、大法院判事は逃げるように法廷から出て行きました」

 再審請求を話し合うため一夜を明かした後、夫に面会するためソウル拘置所に行った。「『面会謝絶』となっているので問い詰めると、刑務官に『赤のマネなんかして死ぬのにまだ話すことでもあるのか」と罵られました。後で分かったことですが、その時すでに死刑は執行された後でした」

 夫の死で残されたイさんと5人の子供たちの人生には“真っ赤な烙印”が押された。村の人々の蔑視と冷遇は刑罰ならぬ刑罰だった。「子供たちが末の息子を村の木に縛り付けて『赤どもは銃殺しなければならない』といじめていました。息子の首を紐を巻き付け引っ張っていたんです。学校が終わって家に帰ってくる三女の後を追いかけてきて、「おまえらの親はスパイなんだってな」とからかう子供たちにアイスクリームを買ってあげ、「この子の父はそんな人ではありません」と言わなければならなかった時は、本当に死にたい気持ちになりました」

 2008年の再審で夫には結局「無罪」が宣告されたが、むしろ虚しさを感じたという。「 なぜ無罪の夫を殺したのだろうか」という考えが頭から離れなかった。足が宙に浮いた感じがして、よく倒れてしまうというイさんは、最近、腕と脚の骨折傷で夫の40周忌の追慕祭に参加することができない。

大邱/オ・スンフン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-04-08 22:58

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/686070.html 訳Y.B

関連記事