2012年2月頃。ソ・インスクさん(42)は夫の電話にドキッとした。「歩くのが困難なのでしばらく休んでいく」と夫は話した。 その頃、夫は「手足に力が入らない」という話をしばしばした。 階段を上り下りする時も手すりを掴んでいた。 その日、倒れた夫はなかなか立ち上がれなかった。
夫が倒れた日、インスクさんの人生も地に落ちた。 いや、天が崩れた。 徐々に全身が固まって、呼吸筋肉が麻痺し息をひきとるという稀少疾患、夫はルーゲリック病という診断を受けた。 インスクさんは泣くにも泣けなかった。 薬で治せる病気だったら…。病院は「何もできる治療がない」と話した。 涙がとまらなかった。
インスクさんにとって夫のイ・ヒョンジョン氏(43)は世の中の全てだった。普段の銀行業務、あまつさえ公課金納付までも夫がてきぱきと処理した。 インスクさんは、ただ夫がくれたカードで子供たちを育てて暮らしていた。 インスクさんが美容師として働いていた時期、二人は初めて出会った。 一目でお互いが気に入り、熱愛の末に結婚した。ヒョンジョン氏によく似た3人の子供を順に得た。 夫婦はお互いを‘私のナンバー ワン’と言い合った。 倒れる直前までヒョンジョン氏は「もう苦労はさせない」とインスクさんに言ったりした。
ヒョンジョン氏は20代序盤からサムスン電子サービスのA/Sセンターで20年の歳月を送った。 一日中掃除機や扇風機などの家電製品を修理した。 夏季休暇もなかった。 子供たちが訊いた。「どうしてうちの父さんには休暇もないの」と。 家族はヒョンジョン氏が倒れて車椅子生活を始めた後、初めての旅行に出かけた。 子供たちより、パパが一番喜んだ。
ヒョンジョン氏がもう仕事ができなくなった時、会社は退職金として300万ウォン(1ウォンは約0.1円)を出した。 そのうち100万ウォンはヒョンジョン氏が勤務していたサムスン電子サービスの協力会社の社長が個人的に用意したお金だと言った。 協力会社側に労災申請をお願いした。 「調べてみたができないと言われた」という返事があった。 世の中のことを何も知らなかった時期だ。 「だめみたいだね」と涙で諦めた。
夫の病状は急速に悪化した。 インスクさんにとって、今では目くばせだけがヒョンジョン氏と心を交わせる手段だ。 今年6月、病気の原因を調べてみようと考えた。 うわさをたよりに捜しまわり、ある労務士に出会った。 鉛などの重金属や有機溶剤、磁場などに長期間露出すればルーゲリック病にかかることがあるという話を聞いた。 2007年には鉛に露出してルーゲリック病に罹った労働者に、裁判所が労災を認めた事例があるということも知った。 それでも恐かった。 ヒョンジョン氏の実の雇い主は協力会社の社長ではなくサムスン電子サービスだ。 ‘サムスン’と法廷攻防を行って勝てるだろうか? サムスンはまるで山のように思えた。
『ハンギョレTV』はハンギョレフォーカスの最新作「子供のパパが倒れました」篇で、イ・ヒョンジョン、ソ・インスク夫婦の事情を扱った。 最近、肺炎により死の淵まで追い詰められたヒョンジョン氏は幸いに回復し、家族のもとに戻った。 インスクさんも、子供たちも、再び力を得た。 金属労組などの実態調査の結果、ヒョンジョン氏は長期にわたり換気がよくない環境で、素手で長時間ハンダ付けをして有機溶剤を扱っていたことが確認された。 インスクさんは10月20日、代理人を通じて夫の労災申請書を提出した。