8月3日、日本の『産経新聞』が報道した「朴槿恵大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」という記事の全文を読んだ。加藤達也前ソウル支局長が書いたコラム形式のこの文は、大きく二つの部分に分けられる。 一つはいわゆる“7時間の行跡”のきっかけになった7月7日のキム・ギチュン大統領府秘書室長の国会運営委員会での答弁(「(事故当日の大統領の)位置に関しては、私は分かりません」)の状況を、パク・ヨンソン新政治民主連合院内代表とキム室長の問答形式でそのまま伝えている。 そして、その次の部分は7月18日付『朝鮮日報』のチェ・ポシク コラム(「大統領を巡る風聞」)の内容のほとんどを逐一伝え、適当に解釈を付け加えた。 「世間では『大統領は当日、あるところで“秘線”とともにいた』というウワサが作られた」、「ちょうどよく、ウワサの人物であるチョン・ユンフェ氏の離婚の事実までが確認され、ウワサはさらにドラマティックになった」など、すべて朝鮮日報コラムをそのまま引用したものだ。
ただし朝鮮日報が“証券街情報誌”に言及して「口にすること自体を自ら品格を落とす」程度でやり過ごした“7時間”に関して、産経は「証券街の関係筋によれば、それは朴大統領と男性の関係に関するものだ」とし更に一歩先へ進んだ。
これが問題の文の全てだ。 つまらない話だ。 国会の状況、朝鮮日報、証券街のチラシなど3つを適当に混ぜ合わせて、朴大統領と大韓民国を蔑視して当てこする記事が韓国人としては愉快であるはずがない。 「大惨事当日の大統領の所在や行動を答えられないとは、韓国の権力中枢はこんなにも不透明なのか」、「韓国の権力中枢とその周辺で、なにやら不穏な動きがある」、「朴政権のレームダック(死に体)化は、着実に進んでいるようだ」などの文面からは、朴槿恵政権の厳しい状況をそれとなく楽しむような雰囲気も感じられる。 だが、ほとんどが引用報道であることに加え、自分の主張を書いたコラム形式の文に訂正報道を要求するのは技術的には容易ではなさそうだ。
ところが、大統領府の強硬発言と韓国検察の“過剰反応”が現地の新聞を書き写し、そこにいくつかの注釈を付けただけの特派員を、一躍言論の自由の旗手に仕立ててしまった。
ユン・トゥヒョン大統領府広報首席は8月7日、大統領府の記者室である春秋館に来て「厳しく対処する。 民刑事上の責任を最後まで問う」とトーンを高めた。 6月初めに広報首席に任命された後、まったく姿を見せなかったが二か月ぶりに初めて記者たちの前に出ての話だった。 ユン主席が産経報道の4日後に突然このように興奮した理由が何かは分からない。 ところで、以後の進行状況を見れば大統領府が直接乗り出して責任を問うたわけでもない。
現在この事件は「自由守護青年団」と「独島(ドクト)を愛する会」などの市民団体が、加藤支局長を名誉毀損の疑いでソウル中央地検に告発した状態であり、検察がこれを告発事件として扱い出国停止、起訴などの強硬対応をしている。 第三者が告発し、当事者である大統領府は“第三者”になって「過程を鋭意注視している」とだけ言う。 当事者告発の場合、記事内容が虚偽であることを明らかにするために反論を提起しなければならない負担を意識したために、一歩後ろに下がっているのかもしれない。
そして、この事件はあろうことか言論の自由論争と韓日関係の負担など大統領府が意図せざる方向に広がった。 大統領府は朴大統領の名誉を守ることが目的だったが、結果的に産経報道が今や韓国と日本ではなく、全世界に広がって大統領の名誉を一層失墜させ、韓国の国益も毀損され、今後韓国検察がこの問題をどのように処理するのかを全世界が「鋭意注視」する状況まで作った。 それでも大統領府は動けない。
現代社会で参謀には三つの類型があるようだ。 先ず、公益(国益、社会)を先に考える部類があり、次に仕える主君に何が本当に役立つのかを考える部類があり、そして最も低いところには、主君に言われるままにする部類がある。