独立機関から総理室傘下に移す
原発振興機関に対する牽制は困難に
発足後3年になろうとする原子力安全委員会(以下、原安委)の“独立性”問題は依然として議論の中心に立っている。
原安委は、原発事故の原因を分析し、原発の再稼動および寿命延長の可否を審査する唯一の“核発電監察機関”だ。原安委が独立機関としてスタートしたのは、日本福島原発事故が起こった後の2011年10月だ。先に国際原子力機構(IAEA)は1993年「原子力安全機関はその責任を果たすために、原子力振興組織や機構から効果的に独立していなければならない」という内容を盛り込んだ“基本安全原則”を発表した。原発運営に必要な最小限の安全基準であるわけだ。
原安委が独立機関としてスタートした最大の背景は、このような規制組織と振興組織の二元化だった。それまで、科学技術部の下に規制機関である原安委と広報機関である韓国原子力文化財団を置くこと自体が“基本安全原則”に反するとして、国際原子力機構から持続的に指摘も受けてきた。実際、原子力安全機関と原子力振興組織との区分は世界的な流れだった。米国は1975年、エネルギー部傘下の原子力エネルギー委員会(AEC)の振興・規制業務を分離して“原子力規制委員会”(NRC)という独立機構を立てた。フランスの原子力安全機構(ASN)、カナダの原子力安全委員会(CNSC)も、全て核発電事業及び研究・開発分野から独立した機構だ。日本も原子力安全保安院(経済産業省)と原子力安全委員会(内閣府)に分かれていた規制機関を福島核発電所の事故後、一ヵ所に集めて原子力規制庁(NRA)という機関を設立した。韓国も遅ればせながら2011年に原子力法を原子力振興法と原子力安全法に区分して、教育科学技術部傘下の機関だった原安委を切り離して大統領直属機関にした。韓国原子力安全技術院・韓国原子力統制技術院も原安委の下に移した。
しかし、朴槿恵(パク・クネ)政府がスタートするやいなや、二元化原則はバランスを失ってしまった。就任直後、朴槿恵政府は原安委を未来創造科学部傘下機関に移そうとして、大きな社会的反発を買った。“原発の安全”を強化する世界的流れに反する処置であった。その代わりに朴槿恵政府は原安委を総理室傘下に移し、韓国水力原子力など振興組織は産業通商部傘下に移管した。これまで閣僚級だった原安委委員長を次官級に下げた結果、原安委委員長は、産業通商部長官も出席する国務会議やエネルギー関連関係長官会議などに参加する資格を失った。原安委が振興機関を牽制することが難しくなり、独立性も弱められたという指摘が出る理由だ。
専門性の確保も急がれる。各種安全業務に従事する専門的人材が依然として足りないためだ。昨年1月、国会立法調査処の「原子力安全の現況と政策及び立法課題」という報告書を見ると、2012年6月基準で原安委・原子力安全技術院の人材は512人だ。原発1基当り担当人員は18.2人で、カナダ(47.2人)、フランス(37.8人)、米国(37.7人)、日本(22.7人)に比べて途方もなく不足している。
キム・ソンファン<ハンギョレ21>記者、オ・チョルウ記者