オランダ ハーグ核安保首脳会議場で会った韓・米・日3国首脳の会合は、予想通り3国安保共助を再確認するパフォーマンスに終わった。 主役アメリカの仲裁で韓国・日本という2つのエキストラ間の破れた共助を復元する席だったとの評価もあるが、さて、復元する程に韓国・日本の関係が破綻したことがあったか。 両者には破綻のジェスチャーと騒がしい破綻騒動はあったかも知れないが、少なくとも1965年の国交回復以後本当に破綻したことはなかった。 アメリカがいる限り、破綻は不可能だった。 韓国には韓国・日本関係を破綻させる自由さえ与えられたことはなかった。
ソウル大日本研究所が出す<日本批評>第10号に載せられた中国対外政策研究者チョ・アラの‘韓日会談過程でのアメリカの役割’を見れば、1965年の韓日国交交渉妥結に至るまでアメリカの役割はそれこそ決定的だった。 ‘現代日本の保守そして右翼’という特集の一つであるこの文によれば、アメリカが韓国・日本の交渉に積極的に割り込んだのは知らされたこととは異なり、ジョンソン政府の時ではなく以前のケネディ政府の時からだった。 ベトナム戦に本格介入し、キューバ危機、中国の核実験成功および冷戦激化でアメリカには東アジアの同盟国である日本と韓国間の関係復元とそれを通した3国反共同盟体制の強化が極めて重要だった。 過度なドル増発などで経済事情が悪化したアメリカは、高度成長を謳歌し経済大国として復活した当時の日本により大きな役割を一手に務めるよう勧めた。
そのような状況でアメリカは、韓国・日本の国交交渉早期妥結を圧迫し、日本と気まずい関係だった韓国の対日賠償請求の性格と規模まで変えてしまった。 そして賠償請求金は独立祝賀金・経済協力金に変わり、日本は侵略と植民支配犯罪の負債を返す戦犯国ではなく、かわいそうな隣国に恩恵を施す恩恵授与国になった。 突き詰めれば、朝鮮戦争が真っ最中だった1950年代初めに韓国・日本の国交交渉を当初から企画し追求したのがアメリカだった。
総額などを決めた大平-金鍾泌(キム・ジョンピル)合意(密約)の裏にもアメリカがいた。 1951年サンフランシスコ‘講和条約’で米・日が事実上共謀した‘独島(ドクト)問題’の曖昧な処理が、大平-金鍾泌密約でも日本により一層有利な方向だと言及された可能性が濃厚だ。 ‘甲’はいつもアメリカの要求を慮りながら速度調節できた日本であった。 高齢な金鍾泌氏が手遅れになる前に真実を明らかにするだろうか。
ハーグでの韓国・日本間のあつれき縫合と韓・米・日3角共助の再確認で、アメリカはミサイル防御(MD)体制構築加速化など3国軍事同盟体制を強化して、対中国政策の位置づけをより一層固めた。 日本を困難にさせた過去の問題は再びうやむやにして覆い隠し、免罪符を受け取った安倍政権は意気揚揚と自分の道を進むだろう。 韓国は北核対応共助強化という、同族に対する敵の再確認以外に得たものは何もない。
韓国がいつも '乙' の身分になるこの不思議な韓・米・日勢力構造。 その歴史はアメリカが日本の朝鮮占領を保障した1905年の桂・タフト密約まで遡ることができる。
韓国・日本の関係でいつも日本が‘甲’であり、韓国・韓半島が '乙' になる、冷戦期に絶頂に達したアメリカ主導のこの不思議な共助体制は、今その対象が中国に変わっただけで相変らず健在だ。 被害意識に埋没すれば現実を正しく見ることができないが、この不思議な現実を直視して変えることができなければ未来がない。
ハン・スンドン文化部記者 sdhan@hani.co.kr