親日・独裁美化に加えて不良論難が絶えないニューライト指向の高等学校用韓国史教科書(教学社)が、愛国歌と関連した叙述でも誤りを犯していたことが明らかになった。 李承晩元大統領を美化するための事実歪曲も更に明らかになった。
9日、民族問題研究所が教学社版韓国史教科書を分析した結果、該当教科書は大韓民国の国歌である愛国歌について不正確に叙述した。 教科書は "米国とドイツで活動したアン・イクテは、海外で‘愛国歌’と‘コリア幻想曲’を作曲した"(268ページ)と書いた。 だが、愛国歌はアン・イクテが作った<コリア幻想曲>の一部が後に愛国歌と呼ばれたのだ。 あたかもアン・イクテが<コリア幻想曲>と愛国歌とを別々に作ったかのように区分するのは誤りだ。 未来には教科書は "アン・イクテが‘愛国歌’を作曲したが、これは‘コリア幻想曲’に入っている合唱曲だ" と正確に記述している。
解放前後の世界史に関する叙述でも誤りが発見された。 該当教科書は "連合国はカイロ宣言(1943)で日本に降伏を要求したがこれを拒否した" (238ページ)と書いた。 だが、連合国が日本に降伏を要求したのは1945年7月のポツダム宣言からだ。
李承晩元大統領を美化するために事実関係を歪曲した内容も追加で続々と明らかになった。 著者は米国のウィルソン大統領を説明する中で、"プリンストン大学総長を務め、李承晩大統領の指導教授だった" (269ページ)と書いた。 だが、パク・ハンヨン民族問題研究所企画室長は "明白な事実誤認で、ウィルソンは李承晩が博士学位論文を提出した当時は総長であり、指導教授ではなかった" と指摘した。
また、著者は "李承晩の国際連盟委任統治請願の便りが知らされ臨時政府に対する不満が生じたりもした" (257ページ)と記述した。 だが、当時独立運動陣営で不満を表わした対象は臨時政府ではなく、反対に委任統治請願など何回も専横を振り回した李承晩に対してであったというのが研究所の判断だ。
<東亜日報>設立者である仁村 金性洙(キム・ソンス)を抗日人士に歪曲した叙述も明らかになっている。 著者が教科書292ページで金性洙の動向を叙述する下りで "1940年8月、日帝が東亜日報を強制廃刊させるや社主である金性洙は故郷へ戻って光復(解放)まで隠居した" と書いたが、金性洙は廃刊以後にも国民総力朝鮮連盟理事(1941年)を務め<毎日新報>に "文弱の慢性を捨て尚武の気風を助長せよ" (1943)という寄稿をするなど、旺盛な親日活動を行った。
金性洙が "日帝から創氏改名を強要されたが断り、日帝がくれる爵位も断った" と叙述した部分についても、研究所側は日帝強制占領期に朝鮮人侯爵11人は創氏改名をしていないなど、親日派であるほど創氏改名をしなくとも被害がなかったという点を指摘した。
また、日帝が金性洙に爵位を授けたこともなく、朝鮮総督府高位官僚の証言で‘日帝が(金性洙に)貴族院議員を提案した’という根拠のない噂が出回っているが、これは爵位とは関連がないという説明だ。 金性洙が日帝の要視察対象になったのは、抗日活動をしたためではなく、当時日帝は一定の影響力を持った人物を日常的に監視していたという指摘も出された。
キム・ジフン記者 watchdog@hani.co.kr