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【このひと】 4大河川事業に抗した農民闘争3年4ヶ月の記録

登録:2013-09-06 20:16 修正:2013-09-06 23:30
2日午後、京畿(キョンギ)楊平郡(ヤンピョングン)コンベントゥアルフランチスコ修道院で開かれた生命平和ミサに参加したソ・ドンイル監督(中央)と、トゥムルモリ最後の農民であるイム・インファン(左から)、キム・ビョンイン、ソ・ギュソプ、チェ・ヨワン氏。

政府の一方的4大河川事業を阻み
“生態学習場”民官協議に至る過程
90分に盛り込んでソウル独立映画祭出品
「トゥムルモリを守りたいという思いで撮影」

 「トゥムルモリ(訳注:ここは両水里(ヤンスリ)とも呼ばれるように、トゥムルすなわち北漢江と南漢江の二つの川が合流してハンガン(漢江)となる地点)の平凡な農民4人が4大河川事業を押しつけた政府の強制撤去に対抗して最後まで頑張ることができたのは、有機農発祥地であるトゥムルモリの価値を守るという信念を手放さなかったからです」

 京畿(キョンギ)楊平郡(ヤンピョングン)八堂(パルタン)のトゥムルモリ有機農民4人がイ・ミョンバク政府の4大河川事業に抗して3年4ヶ月の間行なった農地保存闘争を記録したドキュメンタリー映画<トゥムルモリ>を作ったソ・ドンイル(42)監督は2日、ソウル独立映画祭(11月28日~12月6日)に作品を出品してこのように話した。

 2004年楊平郡(ヤンピョングン)両水里(ヤンスリ)に引っ越してきたソ監督が映画を作り始めたのは2009年6月、4大河川事業で八堂(パルタン)有機農地の保存問題がもちあがろうとする頃だった。 彼は農民団体である<農地保存親環境農業死守のための八堂共同対策委員会>側から広報映像物を作ってほしいという要請を受けて気軽にカメラを取り上げたのが、結局、昨年8月トゥムルモリに生態学習場をこしらえる社会的合意がなされるまで、この作業にかかりきりになることになった。 1時間テープ350本にぎっしり記録された内容は、90分ドキュメンタリーとして完成された。

 「何も知らずに始めて、トゥムルモリ地域と有機農の価値を知るようになりました。 単なる記録者でなくトゥムルモリを守りたい切実な気持ちで撮影しました。」

 当初八堂(パルタン)農民の闘争には北漢江(プッカンガン)の水際で有機農業を営んでいた南揚州(ナムヤンジュ)・楊坪(ヤンピョン)地域の80余世帯が参加した。 1年余り経って政府の懐柔と圧力に南揚州(ナムヤンジュ)側の農家が離れていった後、楊坪(ヤンピョン)側の11世帯だけが残ることになった。 このうちの7世帯も2010年12月政府案を受け入れ、最後の4人だけが残って持ちこたえた。

 ソ監督は「この映画の観戦ポイントは、北漢江(プッカンガン)と南漢江(ナムハンガン)が出会うトゥムルモリを巡って『国家河川敷地だから政府が左右できる』という国家権力に抗して、『長く農業を営んできた住民たちとの協議なしで一方的に推進してはならない』と主張する農民たちの抵抗だ」と説明した。

 政府は有機農が「水質汚染の主犯である」と決め付け、農民を告訴・告発して強制撤去(行政代執行)を何回も試みたが、農民はついに屈服しなかった。 天主教神父・信者たちが930日間生命平和ミサを奉献して支え、市民たちもトゥムルモリを訪れて菜園農業を始め「私も告発せよ」と叫んだ。

 トゥムルモリは全国4大河川事業地の中で唯一、民官協議で生態学習場をこしらえることで社会的合意に至った。 農民は代替農地購入資金融資を受け、かろうじて農地を用意したが、約束の営農施設支援資金を受取ることができなくてまだ農業を再開できずにいる。

 ソ監督は2005年障害者の性の問題を扱った映画<ピンク パレス>を皮切りに、一斉試験(訳注:国家により実施される学業成就度評価試験で、学校序列化、成績至上主義等 多くの弊害が指摘されてきた)を拒否したという理由で解職された全国教職員労組の教師たちを記録したドキュメンタリー<街頭の先生たち>(仮題)等を製作してきた。

楊坪(ヤンピョン)/文・写真パク・キョンマン記者 mania@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/area/601976.html 韓国語原文入力:2013/09/03 22:25
訳A.K(1819字)

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