本文に移動

最も放置され、最も武装したところ…地雷100万ヶ埋設 推定

登録:2013-07-25 20:25 修正:2013-07-26 05:51
ひと目で見る非武装地帯(DMZ)

 非武装地帯(DMZ)は韓国戦争が孕んだ韓半島で最も‘奇妙な空間’に挙げられる。

 非武装地帯の設置根拠は1953年7月27日に調印された停戦協定第1条1項に求められる。 これを見れば、非武装地帯は "一つの軍事境界線を確定し、双方がこの線からそれぞれ2kmずつ後退することによって設定された空間" と定義されている。 ここでは国連軍と北韓・中国軍代表同数でなされた軍事停戦委員会の許可を受けてこそ入ることができ、行政権も南側は国連軍司令官、北側は北韓・中国軍司令官が行使している。

 停戦協定により非武装地帯は南北の誰も手をつけられない捨てられた空間になったが、そこでも人が暮らしている。 代表的な空間は非武装地帯の南側に位置した大成洞(テソンドン)の村だ。 <ハンギョレ>が24日、国家記録院で捜し出した文書‘非武装地帯居住民の援護に関する件’には北韓との体制競争で追い出されていた南側政府のいらだちがよく表われている。

 1958年5月キム・ジョンニョル当時国防部長官が閣僚会議に報告したこの文書を見れば "傀儡側ではこの部落の前面2km地点の傀儡側非武装地帯北限民間人(1939人)に積極的な諸般の援護を実施しているものの、我が方の民間人には大韓民国政府から何等の援護対策もなされておらず(中略)国民の一員という誇りを喪失する恐れがある" と指摘している。

 非武装地帯を中心に南北韓が激しい体制競争を行ったために、この地域は名前とは違い韓半島のどの地域より‘重武装された’地域になってしまった。 非武装地帯には約100万ヶの地雷が埋設されていると推定される。 南北間の鉄条網間の距離がわずか700mしかならない所もあって、警戒所の視野を遮る木と草をなくすためにわざわざ火を放ち自然を傷つけた地域も多い。

 非武装地帯の南側部分を覆っているのは民間人統制線(以下、民統線)だ。当初、民統線は非武装地帯の南方限界線であり南に5~20km間隔で設定されたが、地域民の規制緩和要求によって2007年12月現在は10kmまで北上した。 現在の民統線内に居を占めた村は西側の大成洞(テソンドン)の村から東側の江原道(カンウォンド)楊口(ヤング)の亥安面(ヘアンミョン)万袋里(マンデリ)まで計10個所余りだ。 ここの住民たちは政府が‘民統線北方遊休地開発’と‘対北塊心理戦効果増進’のために1968年から造成を始めた戦略村出身者だ。

 政府が非武装地帯に本格的な関心を持つことになったのは、1988年10月盧泰愚前大統領が国連演説を通じて 「非武装地帯内に‘平和市’を作ろう」と提案してからだ。 以後、金大中・盧武鉉大統領時期に非武装地帯の特異な生態と文化・歴史的重要性に目を開きながら政府は長官級会談等を通して非武装地帯内生態環境・歴史遺跡共同調査・研究などを提案した。 しかし北側はこれに積極的に呼応しなかった。

 この地域の開発と保全に関する政府の下絵は2011年7月に確定した‘境界地域発展総合計画’に具体化されている。 この案を見れば、政府は2030年までに境界地域内に△生態観光ベルト育成△低炭素・緑色成長地域造成△東西南北間交通インフラ構築△世界平和協力象徴空間造成などの事業を推進するとされている。 これとは別に京畿道(キョンギド)と江原道(カンウォンド)地方自治体が‘安保観光’または‘平和観光’という名前で大小の観光プログラムを開発・運営中だ。

キル・ユンヒョン記者 charisma@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/597052.html 韓国語原文入力:2013/07/25 17:05
訳J.S(1684字)

関連記事