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【ハンギョレ プリズム】ポジュギ(一方的に与えること)の政治経済学/キム・ギュウォン

登録:2013-04-29 19:59 修正:2013-04-30 06:50
キム・ギュウォン統一外交チーム長

 朴槿恵(パク・クネ)大統領は去る24日、報道機関の編集・報道局長との昼食会で「開城(ケソン)工業団地問題が早く解決されることを願うが、過去のような "ポジュギ(一方的に与えること)" 式の解決はありえない。 (しかし) "人道的支援" は政治状況と関連なく北の住民のことを考えて努力する」と言った。 北に人道的支援はするが、ポジュギはしないという平素からの持論だった。

 しかしこの主張には大きな弱点がある。 金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代に "ポジュギ" と非難されたことのほとんどが "人道的支援" だったからだ。 ポジュギというのは、人道的支援が通常無償なのでついた名前だ。 今後 "ポジュギ" と言ったら "人道的支援" と理解すれば良い。 朴大統領がこのことを知りながらそう言ったのか、それとも保守派の常套句をそのまま口にしたのか、知りたいところだ。

 統一部の統計を見れば、食料借款まで含めた韓国政府の人道的支援は金泳三政府の2118億ウォンに始まって、金大中政府6153億ウォン、盧武鉉政府1兆4226億ウォンと大きく膨らみ、李明博政府で986億ウォンにガタッと落ちた。 金大中、盧武鉉両政府の人道的支援総額は合計2兆379億ウォンだった。 ここに初めての首脳会談を控えて北に送った1億ドル(1100億ウォン)まで含めれば10年間のいわゆる "ポジュギ" 総額は2兆1479億ウォンだ。 1年に2148億ウォンの計算になる。 しかしこれは2012年に韓国が公的開発援助(ODA)を通じて他国に支援した1兆9000億ウォンの9分の1に過ぎない。

 金・盧両政府の10年間の "ポジュギ" はどんな結果を産んだだろうか? 金剛山(クムガンサン)と開城を11年の間に204万6695人の南の人々が訪問した。 開城工業団地には8年間に80万人と車両50万台が訪問して総額19億7599万ドル(2兆1736億ウォン)を生産した。 盧武鉉政府最後の年である2007年の北の貿易に韓国が占める比重は38.0%に達した。 対北貿易額1位である中国(41.6%)に近接し、2008年には中国を抜いて第1の対北貿易国になると予想された。

 しかし李明博政府がスタートした後 "ポジュギ" は14分の1に減った。 開城工業団地を除く経済協力事業も煙のように消えてしまった。 2008~2011年の経済協力中断による韓国の経済的損失は9兆973億ウォンで、北の損失の5倍以上と推定された。 さらに南北の敵対の中で罪のない軍人と民間人60人が命を失った。 執権二ヵ月目の朴槿恵(パク・クネ)政府は去る26日、開城工業団地から自ら撤収することによって経済協力の門を閉めた。 10年間精魂を込めた塔を押し倒すには5年しかかからなかった。

 "ポジュギ" は予算浪費でなく平和へ向かう投資だと考える。 統一前、西ドイツは1975~1988年の14年間に、年に6億ドル(6600億ウォン)ずつ東ドイツに与えた。 金泳三~李明博政府の20年間に韓国が年平均与えた1229億ウォンの5.4倍に達する。 李明博政府の時期に比べれば33倍も多かった。 物資・労働力を含む貿易規模も年平均66億ドル(7兆2835億ウォン)と、金泳三~李明博政府時代の年平均貿易額9885億ウォンの7.4倍であった。

 ドイツの "ポジュギ" の結果は何だったろうか?  統一だった。 1990年8月、東ドイツ議会は自ら西ドイツへの連邦加入を決めた。 その時まで西ドイツが主にしたことは、数十年の間東ドイツに与えて与えてまた与えたことだった。 西ドイツの東ドイツに対する変わりない支援と協力は、東ドイツ人に西ドイツを信頼して頼るようにさせた。 それが統一の内的原動力だった。

 "ポジュギ" では短期間に北の核兵器とミサイルを除去することはできないだろう。 実際のところ、短期間には何を持ってしてもその問題を解決することはできないだろう。 しかし長期的に見れば、 "ポジュギ" は韓半島に平和と信頼をもたらすと思う。

キム・ギュウォン統一外交チーム長 che@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/584896.html 韓国語原文入力:2013/04/28 20:51
訳A.K(1878字)

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