原文入力:2012/02/20 22:47(1005字)
2001年から議長引き受け
在日の団結に尽力
在日朝鮮人総連合会(総連)のソ・マンスル(写真)議長が死亡した。 享年84。<共同通信>などは20日ソ議長が前日午後、日本、東京、江戸川区の自宅で心不全症のため死亡したと伝えた。 北韓の<朝鮮新報>等も彼の死亡の便りを伝えた。 葬儀は総連葬で行われ、告別式は25日に東京朝鮮会館で開く予定だ。
ソ議長は解放をむかえた1945年18才の時に総連の前身である在日本朝鮮人連盟に身を投じた後、総連の主な職責をあまねく歴任した‘総連の生きた歴史’だ。 ハン・ドクス初代議長が2001年に亡くなった後、第2代議長を引き受け今まで在任してきた。北韓最高人民会議代議員を兼任し、去る14日には金正日の生誕70周年を迎え授与された‘金正日勲章’を受けもした。 だが、最近数年間は闘病生活のためにほとんど業務を見ることも出来なかったと知られた。
彼は慶尚北道(キョンサンブクト)、慶州で生まれ小学校を終えた後に貧困のために中学校進学が難しくなると日本に住んでいた叔母の招請を受けて1941年に日本に渡って行った。 彼は解放後、混乱していた朝鮮の状況でマルクス主義が進む道になると信じたとして当時の選択を説明した。
彼が議長に就任した後、総連は拉致問題による北韓-日本関係の悪化で苦労し、中央本部建物に対する差し押さえと幹部の拉致問題に関連して警察の調査を受けるなど悪材料が続いた。 その間に朝鮮人の民族アイデンティティも弱まり総連の組織も縮小した。
だが、彼は後に撤回されたとは言え、2006年には在日本大韓民国居留民団(民団)のハ・ビョンオク団長と歴史的な初の共同会談を持ち和解と和合のために努力するという共同声明を発表するなど在日韓国人の団結に努めもした。
彼が闘病を始めた後、総連は事実上ホ・ジョンマン責任副議長がリードしていたため、彼の死亡による混乱は殆どないものと見られる。 ホ責任副議長は来年春の中央委員会定期大会まで議長の役割を代行することになったと伝えられた。
イ・ヒョンソプ記者 sublee@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/520009.html 訳J.S