文在寅(ムン・ジェイン)前大統領は今月7日のハンギョレのインタビューで、尹錫悦(ユン・ソクヨル)検事総長の抜擢、その後、彼がそれを足場として大統領にまでなった過程、戒厳と弾劾事態を見て抱いた自責の念を打ち明けた。文前大統領は「悔やんでも悔やみきれない」と言い、「尹錫悦政権の誕生に対して文在寅政権の人たちも責任から免れることはできないし、もちろんその中でも私に最も大きな責任がある」と述べた。文前大統領は「あのような人に政権を渡してしまったという自責の念が非常に大きかった。そのうえ今度は戒厳、弾劾事態が起きたので、夜眠れないほど国民に申し訳なかった」と述べた。尹錫悦検事総長を起用した過程については多くの人物が言及しているが、最終人事権者だった文前大統領が自らこのことについての考えを詳細に明らかにしたのは初めてだ。
-昨年12月3日夜、尹錫悦大統領の非常戒厳発表のニュースに接した時、文大統領はどう思いましたか。
「本当にあきれました。当惑しました。私は実は知りませんでした。帰宅した秘書から電話がきて知ったんですが、最初は信じられないからどこかでユーチューブのフェイクニュースを見たのだろうという程度に考えて、テレビをつけて確認してみたら本当だったんです。それで大統領談話を2回3回と再放送するのを何度も聞いて、ようやく実感したんですが、本当に当惑するし、あきれたことです。
非常戒厳というのは、韓国の憲法上の制度としては残っていますが、すでに数十年前に博物館の収蔵庫に入った遺物のようなものなんです。それを21世紀の天下に引っ張り出してきて国民に振り回すというのは、考えられますか? 野党勢力をすべて反国家勢力と呼び、反国家勢力を一挙に清算する、そういうのを聞いて、大統領は本当に妄想の病が深いようだと思いました。
一方で、国際的にも非常に恥ずべき事件が起きたことについて、自分は前任の大統領としてどうすればよいのか悩みました。国会には戒厳解除を決議する権限があり、それがうまくいけばよいが、もし実際に国会議員たちが逮捕・拘禁されたり、または定足数が足りなくて直ちに決議があがらなかったり、そうなったら前任大統領として直ちにソウルに行かなければならない、行って民主党の国会議員たちと一緒に行動し、緊急に外国メディアとの記者会見などもしなければならない、せめて何か座り込みでもすべきだろうか、そう悩みました。
幸いなことに、民主党中心の国会が迅速に戒厳解除を議決してくれましたし、おそらく国際社会も韓国という成熟した民主主義国家で非常戒厳だなんてといって最初は驚いたでしょうが、全国民と国会がともに力を合わせてそれに立ち向かい、戒厳解除を成し遂げた過程を見て、その民主主義の回復力に驚嘆したと思います」
-耳が痛いかもしれない質問をします。文大統領の在任初期に国政壟断捜査を主導したのが、当時の尹錫悦ソウル中央地検長でした。この過程で検察特捜部の力が強まったことでそれが検察改革の足かせとなり、尹錫悦は検事総長に抜擢され、その後、(当時野党の)「国民の力」に入党して大統領にまで上り詰める足場を築くことになります。現時点で当時を振り返るとしたら、どうお考えになりますか。
「まずは、おそらく今、元検察官や元検事たちが国を意のままに壟断する、まさに検察王国の時代が来たから、あの時期に検察改革がもっと徹底してなされていたらという、そういう脈絡の話のようですが、まずはその国政壟断捜査というのは私たちの政権(文在寅政権)が始めたものではありません。朴槿恵(パク・クネ)政権時代から始まっていました。また、あの時は積弊清算に対する国民の要求がとても高かったため、あの時期に検察が捜査を適当に済ましてしまうように検察の権限を奪ったり力を弱めたりするというのは考えられませんでした。だから検察改革は段階的にアプローチするしかなく、時期を調節しなければならない問題でした。
それだけでなく、韓国の検察改革の本質、それは検察の持つ捜査権を警察にすべて渡し、検察は起訴庁としての役割を果たすようにするというものですが、それは70年の制度を変えることなので、一朝一夕に変えることは不可能です。これは意志の問題ではなく、現実の問題です。直ちに検察の捜査権をすべて警察に渡すのなら、警察がその捜査を担えなければなりませんが、大韓民国の警察が今それを担える水準に来ているのか、または警察が国民からそれだけの信頼を得られているのか、そういうことを考えると、それは一朝一夕にできることではありません。
だから、検察の捜査権限を段階的に警察へと移し、検察の捜査権限を徐々に縮小していき、将来は検察の捜査権限がすべて警察に渡るようにするというこの過程は、数年間にわたって、いわば根を下ろしながら少しずつ段階的に、漸進的にやるしかない課題でした。われわれの政権の間に、ここまではやらなければならないと考えた検察改革は成し遂げました。検察の捜査権限を狭め、その次に公捜処(高位公職者犯罪捜査処)も設立しました。そして警察は国捜本(国家捜査本部)に、そのようにしました。だから、もう一歩踏み込んだ検察改革は次の政権が継続すべきだったのですが、次の政権はそれに逆行する政権となってしまったんです。だから、あの時の検察改革は不十分だったというのは、事後的にやや残念に思ってする話であって、当時を穏当に評価するものではないと考えます。
幸いなことに、今回の尹錫悦政権のあり方、そして戒厳まで含めて、これを見て今や国民は検察の完全な改革、検察の捜査権を全面的にすべて警察に移し、その検察は起訴庁としてのみ存続すべきだという、この検察改革の方向性に対して、すべての国民が誰も異議を唱えないほどコンセンサスを得たと思います。だから次の政権は早急にそのような検察改革を完成させ、まとめる必要があると思います」
-もう少し具体的にうかがいます。尹錫悦検事を検事総長に起用する際、大統領府の内外で意見がはっきりと割れた、と当時民情首席だったチョ・グク前祖国革新党代表は本に書いています。それでも文大統領が尹錫悦検事を検事総長に起用した理由と、その過程はどのようなものだったのか、少し詳しく説明していただけますか。
「そうですね。いずれにせよ、それが尹錫悦大統領誕生のいちばんの端緒になるわけですから。後悔しています。実際にあの当時、賛否が分かれていたのはその通りです。割合で言うと、(尹錫悦検事総長の任命を)支持して賛成する意見の方がはるかに多く、反対意見は少数でした。民主党は全面的に支持し、賛成するという意見でした。でも、その反対意見は数的には小さくてもそう無視できなかったのは、私のみるところ相当な説得力があったんです。
どんな人たちだったかというと、尹錫悦中央地検長時代に例えば法務部長官をしていたとか、とにかくその時期に尹錫悦に近くで接した人たちです。そういう人たちは尹錫悦候補について、短気な性格で、自己制御がうまくできないことが多くある、そして尹錫悦師団という言葉ができるほど非常に身内びいきなスタイルだという意見を(述べました)。それは後で考えるとすべて事実で、その話は正しいことが後に確認されたわけです。とにかく近くで接した人たちがその接してきた経験にもとづいて言っているため、人事においてはそういう意見が重要なんです。だから反対の数は少ないけれど十分に耳を傾けるに値する内容だったので、でもまあ多数は支持、賛成していましたから、それでたいへん悩みました。
そこで、チョ・グク民情首席(当時)と私とで、検事総長候補推薦委員会から推薦された候補は4人だったのですが、その4人全員をチョ・グク首席が一人ひとりインタビューして、当時私たちが最も重要だと考えていた検察改革に対する各候補の意志や考えを確認することにしたのです。チョ・グク首席が4人全員に会ってみた結果、3人は全員検察改革に反対の意見を明確にし、尹錫悦候補だけが検察改革に対して支持する、そういう話をしたというんです。
それで最終的に2人に絞って考えました。(尹錫悦候補ではなく)もう1人はチョ・グク首席と同じ時期に大学に通っていて、また私たちの政権で検察の高位職をしており、チョ・グク首席との人間的な関係も悪くなく、意思疎通もかなりうまくいく、そんな関係だったんですが、残念ながらその方は検事として検察改革には賛成できないと、検察改革に対してはっきりと反対意見を述べたということで、いわば検事マインドが強いということです。そして、もう1人が尹錫悦。コミュニケーションは少し取りにくいかもしれないが、検察改革の意志だけは肯定的に語っていたし、実際に尹錫悦候補は中央地検長時代に検察改革に対して好意的な態度を示したことがありました。それで悩んだわけです。今思えば、それでもチョ・グク首席とコミュニケーションが取れて関係の良好な、そういう方を選ぶのが理にかなっていたのかも知れません。
でも、あの当時、私とチョ・グク首席は検察改革というものに、いわば肩に力が入り過ぎていたというか、それにこだわりすぎていたというか、だから多少問題があっても尹錫悦候補を選んだのですが、そのせいでその後に非常に多くのことが起こったため、あのときの選択は悔やんでも悔やみきれません」
(文前大統領は公式インタビューの終了後の少し自由な会話で、チョ・グク前祖国革新党代表のことを「最も痛い指」だと言い、「限りなく申し訳ない」と語った。そして、「チョ・グク前代表がすごいのは、(尹錫悦ではない方の)別の検事総長候補と親しかったのに、その候補者を推薦しなかったことだ。検察改革に消極的だという理由からだ。あの時、チョ・グク前代表と親しいその候補を推薦していたなら、その人にさせたはずなのに、そうはしなかった」と語った)
-尹錫悦検事総長は自分の期待とは異なる道を歩んでいる、期待外れだと考えるようになったのはいつからですか。
「チョ・グク首席が法務部長官候補に指名された時、チョ・グク候補の一家に対する捜査は明確にチョ・グク首席の主導した検察改革、また、今後法務部長官になったらさらに強力に進められる検察改革に対する報復であり、足を引っ張る行為だったわけです。その時初めて分かったんです。そのため、チョ・グク長官候補の家族はそれこそ粉々になってしまったわけです。実に人間的に皮肉です。尹錫悦をソウル中央地検長に起用する際、最も支持したのがチョ・グク首席で、検事総長に起用する際にもチョ・グク首席が味方になったわけですが、逆に尹錫悦総長(当時)からそのようなことをされたのですから、実に人間的に皮肉なことです」
-尹錫悦総長がチョ・グク法務部長官の人事聴聞会を前にして捜査を開始した際、自分は起用する人間を間違えたと後悔しましたか。
「はい。なぜなら、尹錫悦総長が『いくらチョ・グク首席でも容認できないのが、いわゆる私募ファンドだ』と言って、それは詐欺だということだったわけです。でも実際に私募ファンドはすべて無罪になったじゃないですか。まったく関係のない、単なる、表彰状だとか何だとか別のものを持ち出して、家族をみんなああいう風にしてしまったわけです」
-文大統領の責任論を主張する人々がいます。結果論的な話ですが、尹錫悦大統領は散々な失敗をしたわけですが、その失敗の一部については彼を起用した文大統領の責任ではないかというのです。こういった主張についてどう思われますか。
「それは問題ではなく、とにかく尹錫悦政権はあまりにもだめでした。水準の低すぎる政権、今回の戒厳の前も本当に何もできていなかったし、水準の低い政治をしていましたが、私たちはこのような人らに政権を渡してしまったという自責の念、それがとても強くあります。そして、そのような姿を見るたびに本当に国民に申し訳ないと思いました。それに加えて今回の弾劾、戒厳事態が起きたものだから、本当に言葉にできないくらいの自責の念で、眠れないほど国民に申し訳ない気持ちです。
その始まりが尹錫悦検事総長の起用なのは確かですが、検事総長というポストは大統領になるポストではありません。そもそも検事総長は、むしろ退任後に政界入りすることが批判されるポストです。なぜなら政治的中立性が要求されるからで、検事総長への起用が終わりではなく、その後に例えば尹錫悦検事総長に対する何らかの懲戒、そのような過程が滑らかにうまくいかず粗雑になったことで、逆に非常に多くの逆風を浴びたし、そのために尹錫悦検事総長を政治的にとても大きくしてしまったわけです。それで、まるで文在寅政権と対極にある人物のようになってしまったために、それが『国民の力』の大統領候補にまでしてしまったんだと思います。
しかし、それもまた終わりではなく、さらに残念なのは、実は前回の大統領選挙です。なぜなら、尹錫悦候補は前回の大統領選の過程ですでに示していたんです。この人は言ってみれば有能な検事かもしれないけれど、大統領の資質はまったくない人、何らかのビジョンだとか政策能力みたいなものも全然なく、準備も全くできていない人だということが、あの時すでにあらわになっていたわけです。だから、最初はくみしやすい相手だと思ったんです。私たちの側の候補(イ・ジェミョン候補)の方がビジョンや政策能力、または大統領としての資質やそのような部分がはるかに優れているので、簡単に勝てるだろうと考えていたんですが、おそらくビジョンや政策能力をめぐって競争する選挙になっていたなら当然そうなっていたでしょう。歴代の大統領選挙はそうやってきましたから。ところがそうは流れず、ある種のネガティブ選挙によって、まるでどちらがより嫌われているかを競っているかのように、そのように選挙が流れてしまったし、その枠組みから結局は抜け出せなかったことが敗因となってしまったんです。
そのように全過程を通じて後悔するところが数々ありますが、総体として尹錫悦政権を誕生させたということに対してわれわれの政権(文在寅政権)の人たちは、もちろん私に最大の責任があるはずだし、そこから私たちは免れないと思います。国民に申し訳なく思っています」
-先ほどおっしゃいましたが、当時、チュ・ミエ法務部長官と尹錫悦検事総長が鋭く対立していました。あの時、いくら検事総長が任期の保障されたポストだったとしても、なぜ大統領の人事権を行使して検事総長を辞めさせなかったのか疑問に思っている人もいます。これについてはどのように説明しますか。
「そのような部分はハンギョレ新聞のようなメディアがきちんと伝えるべきことですが、そう言ってしまうと、私たちは帝王的大統領を批判しながら大統領に帝王的な権限権力を行使すべきだと要求するのと同じことです。矛盾する主張です。まずは、大統領には検事総長を解任する人事権がありません。だから、そのような権限はそもそもないんです。やるとしたら、政治的に圧力を加えることはできるかも知れません。
例えば『信頼しない』ということをおおっぴらに言うとか、マスコミを通じて辞任を迫るとか、実際に過去の権威主義時代には、大統領が少し不快に思っているということをちょっとほのめかしただけでも検事総長が自ら身を引く、そんな時代がありましたから。今はもう時代が違います。今はそのように迫ったら、尹錫悦総長本人はもちろんのこと、検察組織全体が反発するし、当然保守メディアもいきり立つでしょう。そうなれば途方もない逆風が生じ、それはまた大統領選で非常に大きな悪材料になるでしょう。それを選択することはできませんし、大統領に権限があるように考えるからそのようなことを言うわけで、そうではないということは明確にしてほしいと思います。
あの当時、尹錫悦総長を辞めさせる唯一の方法は、法務部長官は懲戒建議で懲戒解任ができるため、実際に当時の法務部長官はそれを試みたんです。ところが、その過程がうまく処理されればよかったのですが、そのように処理されずに進んだため、解任もできずに逆風を浴びて政治的にあの人を大きくする結果になってしまったんです」