尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が違法な非常戒厳を宣布した2024年12月3日の夜、その夜を思い出させる最も象徴的な場面は二つだ。戒厳軍の装甲車を身をもって止めた市民たち、そして国会の塀を越えるウ・ウォンシク国会議長。特に「民意」を代表する国会議事堂に入るため、国会議長が塀を越える姿は、その夜155分間にわたり蹂躙(じゅうりん)された私たちの民主主義を象徴的に見せる場面として、歴史に残るものとみられる。
その夜、ウ議長をはじめとする国会の対応は素早かったが、落ち着いていた。戒厳軍が襲った阿鼻叫喚の中でも、「手続きを守らなければならない」として節制を呼びかけたウ議長は、捜査を通じて明らかになっている内乱の真実を目の当たりにし、この戒厳計画が「最悪の状況」まで狙ったものだったことを知って、後から胸をなで下ろしたという。その後、嵐のような40日余りが過ぎた。14日に行われたハンギョレとのインタビューで、ウ議長が挙げた3つの「ヒヤリとした瞬間」を中心に「ソウルの夜」を振り返ってみた。
■国会の塀を越えて…「言い合いにならなくてよかった」
先月3日午後10時33分、キルギス大統領と晩餐会を行った後、公館で休んでいたウ・ウォンシク国会議長にキム・ミンギ国会事務総長が電話をかけてきた。尹大統領が非常戒厳を宣布したということだった。ウ議長は5分で服を着替え、公館を飛び出した。「国会が戒厳を解除できる権限を持っており、非常戒厳解除のための本会議を率いるのは国会議長なので、国会議長が先に捕まったら(国会の)身動きが取れなくなると思った」と、ウ議長は振り返った。ソウル漢南洞(ハンナムドン)の議長公館から国会まで駆けつけるのに15分かかった。
国会に到着して車で通用門から入ろうとするウ議長の前に、警察の車の壁が立ちはだかった。最初は腹が立った。「警察に派手に抗議しようか」とも思った。しかし「じっくり考えてみると、戒厳軍を避けてきたのに、警察と言い合いになって捕まったら何の役にも立たないことに気づいた。『これは違う』と思って、引き返した」。そしてウ議長は伝説となった塀の乗り越えに挑戦した。「国会の塀はすべて直線(縦に長い鉄の垣根)になっており、間に足を踏み入れて支えるのが難しくなっている。だが、少し進むと、模様のある門があり、模様の部分を踏んで登っていくことができそうだった。そうやって乗り越えた」
もしウ議長が国会の塀を乗り越えなかったら、どうなっていただろうか。後で公開されたキム・ヨンヒョン前国防部長官の控訴状には「捕縄および手錠を使って」、「ウ・ウォンシク(国会議長)、イ・ジェミョン(最大野党「共に民主党」代表)、ハン・ドンフン(与党「国民の力」代表)のうち見つけ次第先に逮捕し、拘禁施設(首都防衛司令部)に移動」せよというキム前長官とヨ・インヒョン防諜司令官の指示が書かれていた。ウ議長が塀を乗り越えることに失敗していたら、国会は戒厳解除要求決議案を可決できず、内乱が成功したかもしれない。
■定足数を満たしていたが、1時まで待った
「大統領が戒厳令を宣布した時は、遅滞なく国会に通知しなければならないが、通知が来ませんでした。戒厳を宣布してから2時間が過ぎたが、まだ来ていないことを見ると、これは大統領側の帰責事由です。したがって、手続きを始めます」
その夜、非常戒厳解除要求決議案を表決するための本会議を開始する直前、ウ議長は議員たちにこのように述べた。ウ議長は戒厳法について熟知していた。内乱事態が起きる前に、キム・ミンギ国会事務総長が「もし戒厳が宣布されたら、国会が議決で戒厳を解除することができる」と話したことがあるからだ。「まさか戒厳令を敷くことはないだろう」と思ったが、戒厳法を読んでおいた。戒厳法を直接調べたウ議長は、手続きの順守が非常に重要であることに気づいた。ウ議長は「少しでもミスがあれば、これを口実に戒厳解除を無効にできると考えた」とし、「そのようなことだけは防がなければならないと思った」と語った。
「議長、早くしてください!」、 「とりあえず表決を取ってください。話はその後です」、「早くしましょう」、 「今、外の状況が緊迫しているようです。催涙弾を使ったりして大騒ぎです」、 「今、軍人たちが3階まで入ってきました!」
その夜の本会議の速記録には、議員たちの切羽詰った催促がぎっしりと書かれていた。しかし、ウ議長はこのように述べた。「気が急ぐのは、私も皆さんと同じです。ですが、きちんと手続きを守らなければなりません。手続きを間違えば、またそれも(後で)問題になります」
非常戒厳解除要求決議案を上程するためには、与野党院内代表の「協議」が欠かせなかった。与党「国民の力」のチュ・ギョンホ院内代表に時間を与えざるを得なかった。「議員たちに早く議決をしようと言われたが、この状況をすべて説明するわけにはいかないから、困っていた。手続きは守らなければならないし…」。ウ議長は当時をこのように振り返った。ついに午前0時33分、戒厳軍が国会のガラス窓を割って本庁内に進入してきた。午前1時になると、これ以上は持ちこたえられないと思った。ウ議長はようやく議事棒を手にした。午前1時1分、国会は在席議員190人全員の賛成で非常戒厳の解除を議決した。憲法が定めた手続き通りだった。
ウ議長が混乱の中でも手続きを守ったことが功を奏した。尹大統領は国会の戒厳解除決議直後、合同参謀本部の結審支援室で軍首脳部と会議を開いた。尹大統領がこの会議で戒厳法と国会法の解説書を検討した事実が後になって明らかになった。ウ議長は「もし手続きに少しでもそぐわない内容があったなら、(解除議決が)無効だとして戒厳を維持させただろう」と語った。ウ議長は再び胸をなで下ろした。
■戒厳解除になってからも…1週間国会で寝泊まり
非常戒厳解除要求決議案が可決されたが、安心することはできなかった。尹大統領が「2回目の戒厳を宣布する可能性もある」という緊張感が汝矣島(ヨイド、国会)に漂っていた。ウ議長をはじめとする国会議員と国会・政党の職員は、尹大統領が国務会議を開き戒厳解除を議決する時まで国会の敷地で待機することにした。
午前4時30分、非常戒厳宣言から6時間余りで尹大統領が国務会議で戒厳解除を議決したという報道が出た。報道を見てもウ議長は「ひょっとして」と思った。直接事実を確認するため、国務委員たちに連絡してみたが、だれも連絡がつかなかった。午前5時30分頃になって、ハン・ドクス首相と連絡がついた。ハン首相から「戒厳を解除した」と言われたが、「もしかしたら、また何か起きるか分からない」と考えた。ウ議長は「散会」(本会議を終える)の代わりに「停会」(本会議をしばらく中止する)を宣言した。
ウ議長はその日から1週間、国会で寝泊まりした。「戒厳解除後、議長公館に帰るかどうか悩んだが、危ないからここに泊まろうと思った」。事態が落ち着いた後、国会事務処は戒厳当日のソウル漢南洞の議長公館周辺の監視カメラ(CCTV)映像を確認し、驚愕した。尹大統領が戒厳解除を宣言してから50分が過ぎた後も、議長公館の周辺に戒厳軍がうろうろしていた姿が映っていたためだ。「もし(公館に)帰って捕まったら、2回目の戒厳宣布があったかもしれない。公館に帰らなくて本当によかった」。ウ議長は「天運だと思った」と振り返った。
戒厳の夜を思い出すと、「ヒヤリとした」人はウ議長だけではない。「警告するための戒厳だった」という言葉とは裏腹に、捜査が進むにつれ、尹大統領が緻密に戒厳を準備してきた情況が明らかになった。大統領は「銃を撃ってでも議員を本会議場から引きずり出せ」と指示した。議員たちを移送する地下バンカーを準備し、ハンギョレを含む一部報道機関の電気・水の供給断ちまで計画した事実が続々と明らかになっている。