朝鮮半島で軍事的緊張が高まる中、2002年に在韓米軍の装甲車にひかれて死亡したシン・ヒョスンさん、シム・ミソンさんの22年目の追悼祭が開催された。
ヒョスンミソン平和公園事業委員会(平和公園事業委)などの23団体は、13日午前11時、京畿道楊州市のヒョスンミソン平和公園で、故シン・ヒョスン、シム・ミソン22年追悼祭を開催した。この日の追悼祭には市民団体をはじめ宗教団体、青少年など150人あまりが参加し、追悼の気持ちを分かち合った。
平和公園事業委のクォン・ジョンホ弁護士は追悼発言で、「中国に対する圧力を強めていっている米国のアジア太平洋戦略によって、韓米同盟は韓米日同盟へと変貌し、前哨(ぜんしょう)基地となる韓国は核戦争の可能性まで高まっている。南北関係も終わりの知れない敵対と対決の強対強対峙(たいじ)で一触即発の戦雲が漂っているため、いつにも増して平和が切実に求められている」とし、「朝鮮半島の平和を実現することこそヒョスン、ミソンのろうそく精神を完成させる道」だと語った。
この日の追悼祭には、かつて在韓米軍に勤務していた米国平和在郷軍人会の会員たちも参加した。装甲車事故を起こした在韓米軍第2歩兵師団に所属していたエリオット・アダムスさんは、「米国が平和協定を拒否し、朝鮮戦争を終息させないのは、この対立が米国の軍産複合体の利益になるから」だとし、「米国と韓国の政治権力者は平和のための努力をしないが、私は韓国国民に希望をかけている。韓民族は自らの力で平和を成し遂げなければならない」と述べた。
1980年代に平沢(ピョンテク)のキャンプ・ハンフリーズで軍務についていたというアラン・バーフィールドさんはこの日、光州(クァンジュ)抗争当時の在韓米軍の状況を証言した。バーフィールドさんは、「光州抗争の時、私たちの部隊は1週間兵舎に留まり、民間人の暴動の鎮圧訓練についての講義を受けたり映画を見たりした」とし、「当時の米軍の役割は、ほぼ韓国の民間人を阻むことだった」と語った。同氏は、「米軍が韓国をはじめとする多くの国に駐留しているのは、覇権と経済的、軍事的支配を維持するため」だとし、「米国の軍事主義者たちはウクライナ、ガザ地区に続き、さらに中国あるいは北朝鮮と戦争を起こそうとしている」と批判した。
この日の追悼祭では、5・18光州民主化運動被害者の遺族であることを明らかにしている歌手のハリムさんらが追悼公演をおこなった。青少年たちの合唱の際には、一部の追悼客からすすり泣きが漏れた。追悼客は追悼祭終了後、建設が準備されているヒョスンミソン記録館の予定地に立った。ヒョスンミソン記録館は2026年の着工、2027年の完成が予定されている。
2002年6月13日、当時14歳の中学生だったヒョスンさんとミソンさんは、楊州市広積面孝村里の国道56号線で、訓練を終えて部隊に帰還する途中だった在韓米軍第2師団の装甲車にひかれて死亡した。装甲車を運転していた米兵たちは、在韓米軍地位協定(SOFA)に則って米国の軍事裁判所で裁かれた。米兵たちは全員無罪となったため国民的な怒りを買い、全国でろうそく集会が行われた。