本文に移動

寝室で15人・トイレで6人 遺体‘休息時に事故’

原文入力:2010-04-15午後11:52:33(2563字)
[天安艦 艦尾引き揚げ] 失踪者 捜索・安置
狭い通路に装備絡まり 捜索遅延…夜中まで収集作業
犠牲者 身元確認→家族通知→司令部移動→検案後 安置

コ・ナム記者

←息子…夫…父…戦友…最後の1人まで待ちます(※犠牲・失踪者 44人 黒リボンは遺体収集,15日午後11時30分現在)

パン・イルミン,ソ・デホ,イ・サンジュン下士,イ・サンミン(88年生)兵長(以上 艦尾乗務補助員食堂),パク・ソグォン,カン・ジュン,チョン・ジョンユル中佐,チョ・ジンヨン下士,カン・ヒョング,イ・サンミン(89年生),イ・サンヒ,イ・ジェミン兵長,アン・ドンヨプ,パク・ジョンフン,キム・ソンミョン上等兵,チャン・チョルヒ二兵(以上 機関部寝室),シン・ソンジュン中佐,イム・ジェヨプ下士(以上 76㎜艦砲下部弾薬庫),ソ・スンウォン下士(ディーゼル機関室),チャ・キュンソク下士(誘導行政室),ムン・キュソク中佐(中士休憩室),キム・ジョンホン中佐,キム・ドンジン下士,イ・ヨンサン兵長,キム・ソンホ上兵(以上 後舵室),キム・ギョンス,チェ・ジョンファン,ミン・ピョンギ中佐,ソン・スミン,シム・ヨンビン下士,チョ・ジフン一兵(以上 乗務補助員トイレ)….

15日午後から夜11時30分まで国防部記者室で天安艦と共に消えた36人の将兵が一名ずつ呼称された。艦尾から遺体収集された将兵たちだ。

甲板にある機関部寝室でこの日夜11時30分現在、15人の遺体が発見され、1階の乗務補助員トイレからも6人の遺体が出てきた。この他に甲板の艦尾乗務補助員食堂と後舵室からも三,四人ずつ発見された。この時刻までに遺体が確認された36人の内、21人が寝室とトイレで発見されたわけだ。国防部が公式発表した事故発生時刻が夜9時22分の点に照らしてみる時、これらは夜10時の就寝を控え体を洗い寝る準備をしていて被害に遭ったものと推定される。

トイレで多くの将兵が発見されたことについて海軍関係者は「哨戒艦のトイレには便器だけでなくシャワーと蛇口があるので就寝に先立ち体を洗ったり洗濯をする将兵たちがいたようだ」と話した。

←天安艦沈没失踪者の位置と遺体収集

この日、韓国軍26人,民間人専門家10人,米軍専門調査要員2人など38人がバージ船に上がり切断された艦尾を調査した。遺体確認は4ヶ チームが分けて引き受けた。各チームは捜査要員1人と海軍2人,家族代表1人などの4人で構成された。

←失踪将兵遺体収集 海軍関係者たちが15日午後、仁川,甕津郡,ペクリョン島海上で天安艦をバージ船上にのせた後、発見された失踪将兵たちの遺体を収集している。 ペクリョン島/イ・ジョングン記者 root2@hani.co.kr

海天気は良かった。この日、京畿北部近海の風速は6~9m/sで、波高は0.5mに過ぎなかった。
だが作業は遅々としていた。通路が狭いうえ、装備が絡まっていたためだった。海軍艦艇の通路は人一人がかろうじて通ることができるほど狭い。艦尾を見回ったイ・ジョングク失踪者家族協議会代表は「廊下で佇むことは不可能だ」と話した。海軍には陸軍や空軍にはない‘スマート’がある理由だ。艦長など上級者が行き過ぎるときは、通路にいた下級者は壁に貼りつくようにした道を空ける。「内部は多くの浮遊物と電線で一杯だった。進入に狭い部分があり、通路自体を通るのが難しく(遺体収集が)予定より遅れている状況」とイ・ギシク合同参謀本部情報作戦処長はこの日午後説明した。

失踪者たちを探す作業は夜遅くまで続いた。日が沈むと海軍はランタンを灯してあらかじめ組んであった夜間作業規則遵守に合わせ探索を継続した。海軍は当初、午後4~8時に失踪者捜索と遺体収集を終え夕方8時に2艦隊司令部がある平沢港に向かいバージ船を動かす計画だった。

だが遺体収集が遅れバージ船の出発も遅れた。イ・サンウィ合同参謀議長は夕方8時30分頃、天安艦失踪者捜索作戦と関連し「時間に束縛されず現場で失踪者を全員探すという覚悟で捜索作戦を実施せよ」として「精密で完ぺきな捜索作戦を実施した後にも、これ以上失踪者が確認されなければ合同参謀議長に終了結果報告した後、2艦隊へ出港しろ」と指示した。夜を明かしてでも艦尾で失踪者を最後まで探すという指示だった。

この日の遺体収集は‘独島艦に移した後、身元確認→家族に通知→ヘリコプターで2艦隊司令部移動→副士官・兵 同期生運柩→検案所→安置所’の順に進行された。発見された遺体はまず近隣海域に泊っていた独島艦に移された。ここでアルコールで遺体をきれいにした後、太極旗で覆った。その後、身元確認を経た。この過程で独島艦に留まっていた天安艦生存副士官のホ・スゥネン上士とイ・グァンヒ中佐をはじめとする海軍関係者および失踪者家族などが認識票と戦闘服名札などの色々な持ち物を土台に大部分の身元を確認した。この日、失踪将兵たちは大部分が持ち物を持ったまま発見され、20~30分以内に身元が確認された。

だが持ち物がない場合、身元確認に困る可能性もある。これに対し軍は持ち物がない場合には遺伝子鑑識を通じ身元を確認するという方針をたて、国防部調査本部科学捜査研究所のアン・ヒジュン遺伝子課長など遺伝子鑑識チームの一部を民・軍合同調査団科学調査チームに配置したと知られた。軍関係者は「必要な場合、失踪者家族のDNAを採取し、身元が確認されない遺体や遺留品から得ることができるDNAと照合する」と話した。

軍は身元が確認された将兵たちの場合、家族に知らせた後に遺体をUH60ヘリコプターで40分の距離の平沢2艦隊司令部に移した。検案が終わった遺体は近隣の2艦隊司令部安置所にはじめて安置された。先月16日に笑顔で2艦隊司令部を出発して丁度30日ぶりだ。

コ・ナム,ファン・チュンファ記者 dokko@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/416300.html 訳J.S