「あの時、私が人を殺したんですか」
梨泰院(イテウォン)で起きた雑踏事故の惨事の生存者、キム・ヒョジンさん(仮名)は問い返した。声が震えていた。ヒョジンさんは昨年10月29日、知人たちと訪れたソウル市龍山区(ヨンサング)の梨泰院で惨事が発生したT字路の路地に一人で流され、かろうじて抜け出した。その後数日は全身に湿布を貼るほど圧迫による痛みが激しかった。だが、体にできた傷よりも深かったのは、命が助かった後に聞こえてきた「言葉」が残した傷だった。
「私は被害者も加害者だと思う」。惨事の直後、親しかった人がこう言った。被害者もやはり事故現場で誰かを押したはずだから加害者だというこの言葉は、いまもヒョジンさんの胸に刺青のように残っている。「私はまだ大丈夫じゃないんです。本当に、大丈夫じゃない」。22日に会ったヒョジンさんは、この言葉を繰り返した。
惨事が起きて1年、これまで責任を負った政府関係者はいない。裁判に付された人々は「上層部の過ちであって、自分には責任がない」と言う。弾劾訴追を受けた安全問題の最高責任者(行政安全部長官)に、憲法裁判所は「過ちはあったが罷免するほどではない」とし、免罪符を与えた。「159」という犠牲者の数だけが残された。この責任不在の空間を、生存者の自責が埋めていった。
「あなたは生き残った」という言葉ににじむヘイトがいまも生存者を苦しめている。ヒョジンさんは「被害者も加害者」という二次加害発言に怒りをおぼえたが、振り返ってみると「本当に私が動いたことで誰かを死なせたんだろうか」と自分を問いただしたと告白した。
生存者のトン・ウンジンさん(23)も自責の念と戦っていた。まだ梨泰院に行くことができないというウンジンさんは「事故現場では一般の人々が心肺蘇生法を施していました。私は自らすすんで助けられなかったという点で、長いこと自分を責めました。私があの日あそこに行ったから(密集度が上がったから)、人が怪我をしたんじゃないか、結局助けることもできず惨事が大きくなったんじゃないかと、そんなことを長い間考えていました」と語った。最近『私が惨事の生存者なんですか』という本を発刊した、惨事当時現場にいたキム・チョロンさんも、心肺蘇生法が施せなかった自身を事故直後には自責したとハンギョレとのインタビューで明かしている。
人と会うのが好きだったヒョジンさんは、いまでは人を警戒する。梨泰院惨事に関する侮辱的な言葉を聞き「もう(人を)信用できない」と言う。「遺族は民主党とつるんでいる」、「梨泰院に行って生き残ったことは自慢じゃないだろ」、これらの言葉は、ヒョジンさんが惨事直後に急性ストレス障害を患っていた状況で、知り合いから直接聞いた話だ。
ヒョジンさんは「誰かに会ってももう自分から話しかけるのが怖い。『もしかしてこの人もそう思っているんじゃないか』と考えてしまう」と話した。ウンジンさんは「『遊びに行って死んだんじゃないか』という言葉がとても大きなショックで、一番つらかった。非難する人たちを理解したくはありません。彼らはあのときの残酷な現場を見ていないんですから」と虚しい笑いを浮かべて言った。
生き残った人たちは「惨事以前」に戻ることはできない。平凡な日常が突然首を絞めてくることもある。ヒョジンさんは急に息苦しさをおぼえて何度も着替えたりする。ワイヤー付きの下着は全部捨てた。以前は全くなかったことだ。圧迫感のせいでシートベルトをちゃんと締められない日も多かった。惨事後、周りのなんの変哲もない事物が自分を攻撃しているように感じられるとヒョジンさんは話した。人でにぎわう街は、いまや恐怖の対象だ。ヒョジンさんは「平凡さを失ったみたい」と言った。トン・ウンジンさんは惨事後、地下鉄に乗ろうとして呼吸が苦しくなった経験をしてからは、タクシーや自分が運転する車だけで移動するようになった。ウンジンさんは「以前はそんなことは一度もなかった」とし「(惨事の経験が)こうしてしまったんだと思う」と語った。
最後にヒョジンさんは「韓国社会はまだ惨事を経験した被害者にどう接するのか、どう慰めるかが未熟なのだと思う。惨事を単なる『他人事』と思う空気がある」と言い、被害者に冷たい視線を向けないでほしいと訴えた。