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「慰安婦」被害生存者「16歳で連れて行かれたが、手が曲がるほど懸命に生きてきた」

登録:2023-03-01 02:47 修正:2023-03-01 08:17
[フォト]95歳のパク・ピルグンさんの人生 
「日本人に謝ってほしいし、賠償もしてもらいたい」 
240人の「慰安婦」被害者のうち生存者は10人のみ
パク・ピルグンさんが大邱市中区のヒウム日本軍慰安婦歴史館を離れる際に手を振っている=パク・チョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 「私はもう死期が近い」

 慶尚北道地域で唯一の「慰安婦」被害生存者であるパク・ピルグンさん(95)には、人生の終わりが近づいている。16歳で強制的に日本に連れて行かれて工場で働かされ、慰安所生活まで強いられた記憶は、80年が過ぎた今もパクさんを苦しめている。脱出を試みて捕まり、殴られてできた足の傷は今も鮮明に残っている。

 命をかけた2度目の脱出で在日同胞の夫婦に助けられ、1945年2月ごろに故郷に帰ることができたパクさんは、帰国後結婚したものの、夫とは早くに死別した。7人の子をもうけたものの、5人に先立たれた。残った男の子と女の子を育てるためにパクさんは、指の関節の骨が曲がって飛び出るほど懸命に働いた。

パク・ピルグンさんが慶尚北道浦項市北区竹長面の自宅で、訪ねてきた人たちのためにお茶の支度をしている=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社
体の不自由なパクさんは、ひとりでいる時は花札をして暇をつぶす。慶尚北道浦項市北区竹長面のパクさんの自宅に訪ねてきた人たちは、必ず1回は花札をしなければならない。パクさんの素朴な愛情表現だ=浦項/ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社
指の関節が曲がり、やせ細ったパクさんの手=パク・チョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 日本軍「慰安婦」被害者の金学順(キム・ハクスン)さんによる1991年の公開証言に力を得て、パクさんは1993年に慰安婦被害者として登録した。子どもたちの支持もパクさんが勇気を振り絞るきっかけとなった。被害者登録後は、パクさんを応援する人々がパクさんの傷を癒している。浦項(ポハン)女性会と大邱(テグ)の挺身隊ハルモニと共にする市民の会は、随時パクさんのもとを訪ねて話し相手になっている。

 現在、政府に登録されている240人の日本軍「慰安婦」被害者の中で、生存者は10人。10人の平均年齢は93.6歳だ。日本との関係回復に積極的な尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の成立後の、「慰安婦」問題の解決に向けた韓日両政府の動きは非常に遅い。パクさんの息子の妻は「カン・ギョンファ外交部長官、チョン・ヨンエ女性家族部長官は何度か訪ねてきたが、政権が変わってからは訪ねてくる人はいない」と話す。

パク・ピルグンさんが大邱中区のヒウム日本軍慰安婦歴史館で、挺身隊ハルモニと共にする市民の会のソ・ヒョクス代表と話している=パク・チョンシク記者//ハンギョレ新聞社
パク・ピルグンさんが大邱中区のヒウム日本軍慰安婦歴史館の壁にかけられている大邱・慶尚北道地域の日本軍「慰安婦」被害たちの写真を眺めている=パク・チョンシク記者//ハンギョレ新聞社
ヒウム日本軍慰安婦歴史館の壁にかけられている大邱・慶尚北道地域の日本軍「慰安婦」被害の写真を眺めるパクさん。同地域の被害者は高齢のためほとんどがこの世を去り、現在は大邱にイ・ヨンスさん、慶尚北道にパクさんが生存している=パク・チョンシク記者//ハンギョレ新聞社

 「日本人に謝ってほしいし、賠償もしてもらいたい」。パクさんの願いは生きているうちにかなうだろうか。

パク・チョンシク、ペク・ソア記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1081554.html韓国語原文入力:2023-02-28 13:48
訳D.K

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