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[インタビュー]「ウトロの『80年闘争史』、20年訪ね歩いて記録」

登録:2022-07-07 10:47 修正:2022-07-07 15:18
在日コリアンの中村一成さん|ジャーナリスト
4日、インタビューの写真撮影に応じる中村一成さん=キム・ヨンヒ記者//ハンギョレ新聞社

 京都府宇治市にあるウトロ地区は、日本で最も疎外されている町に挙げられる。第2次世界大戦時の1941年、軍の飛行場建設のために強制動員された朝鮮人労働者1300人あまりが暮らし形成された集落で、解放後も住民の大部分は朝鮮半島に帰る場所がないという苦しい境遇だった。

 韓国と日本から無視され、無国籍者として生きてきた彼らに差し出されたのは温かい手ではなく、戦犯企業の退去命令だった。2008年、韓日の市民団体と韓国政府の支援でかろうじて居住地は守ったが、差別は依然としてある。

 約20年にわたるウトロ地区の取材記をまとめ、最近『ウトロ ここで生き、ここで死ぬ』を出版した在日コリアン3世の中村一成(なかむら・いるそん)さん(52)に4日に会い、在日朝鮮人の暮らしとウトロの意味について話を聞いた。中村さんは市民団体「地球村同胞連帯(KIN)」とともに、2日の釜山(プサン)を皮切りに、4日に光州(クァンジュ)、6日に仁川(インチョン)で出版記念講演を行った。

 「日本で在日朝鮮人はいまも植民地の国民という差別と抑圧の中で生きています。韓日両国から背を向けられた在日朝鮮人の勝利を象徴するウトロを忘れてはなりません」。彼は「在日朝鮮人は日本で一番低い位置にいた。外国から帰ってくると再入国許可を受けなければならず、就職でも差別を受ける。最近は右翼団体の攻撃に苦しんでいる」とも述べた。

今年4月30日、韓国と日本で同時に出版された『ウトロ ここで生き、ここで死ぬ』の韓国語版書籍の表紙//ハンギョレ新聞社

 中村さんは、在日朝鮮人は植民地出身という認識がいまも日本国内に広がっていると話した。強制徴用被害者に賠償せよという韓国最高裁(大法院)の判決を日本企業が無視する状況も、同じ理由だと説明した。

 今年、ウトロで在日朝鮮人の暮らしに反響を呼ぶ出来事が起きたと言う。4月30日、ウトロ平和祈念館がオープンしたのだ。ウトロでの80年の闘争の成果だった。

 「2008年に住民たちが土地を買うまで、数多くの退去命令と闘ってきて、居住民は現在100人あまりに減った。2020年に姜景南(カン・ギョンナム)さんが亡くなり、在日1世はもう誰も残っていない状況だ。ウトロの歴史を、韓国では無視し、日本政府は消そうとする状況で祈念館ができたということは、彼らがこの世に存在したことを永遠に記憶するきっかけとなる」

強制動員による在日朝鮮人の定着地 
「朝鮮人差別に対する勝利の象徴 
今年4月の祈念館設立は大きな成果」 
 
「韓国人の母・日本人の父」をもつ在日3世 
アイデンティティを示すために両国の言葉の名前を使う 
「同胞たちに民族名を返したい」

 祈念館の建設は容易ではなかった。昨年8月、20代の日本の青年が「韓国が嫌いだった」として祈念館開館を防ぐためにウトロ地区に火をつけた。7軒の家と展示物40点が燃えた。住民たちはこのような人々の認識を変えるためにも、祈念館は絶対に必要だという意志を固めたという。

 中村さんは、祈念館の建設は韓日の活動家たちの支援が大きな力になったと話した。1980年代、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)など在日朝鮮人団体がウトロを支援していた状況で、2000年代に入って民主化を経た韓国の1960~70年代生まれの活動家たちが参加した。土地問題が浮上し、韓国政府も土地購入費を支援した。政治性向や国籍を越え、心を一つにしてウトロを守ったのだ。

京都府宇治市ウトロ地区の全景=「美しい財団」ホームページより//ハンギョレ新聞社

 中村さんは2018年にウトロを取り上げた「ハンギョレ21」の記事の見出し(「ウトロが見せた『小さな統一』の力」)から取って「小さな統一」と表現した。

 本人も在日コリアン3世として波風のない人生を送ることはできなかった。在日2世の韓国人の母親と、日本人の父親の間に生まれた彼は、幼い頃から母親に対する父親の差別的な言葉を聞きながら育ったという。一時は「朴一成(パク・イルソン)」という韓国名だけを使ってもいたが、就職する時期には「中村一成(かずなり)」という日本名を使った。毎日新聞記者として働いていた時、多くの在日朝鮮人に会って考えが変わり、自分のアイデンティティを隠さないために両方の言葉の名前を使っているという。

 これまでは在日朝鮮人の闘争と歴史を記録したとすれば、これからは彼らの名前を取り戻したいと中村さんは述べた。「70年代初め、在日2世の朴鍾碩(パク・チョンソク)さんは、入社願書に日本名だけを記載して韓国人であることを隠したという理由で就職を拒否されたが、訴訟で勝利し、差別を勝ち抜いた。しかし、依然として在日朝鮮人たちは民族名ではなく日本の名前で暮らしている。彼らの本名に込められた様々な感情と事例を集めて、なぜ名前が大切なのかを知らせたい」

2019年、上空から撮影した京都府宇治市ウトロ地区の全景=「美しい財団」ホームページより//ハンギョレ新聞社
キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/1049938.html韓国語原文入力:2022-07-07 02:34
訳C.M

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