原文入力:2010-02-03午後10:20:15(1485字)
司法府 初判断… "国防部は自殺に操作" 9億賠償判決
* ホ・ウォングン:1984年疑問死
パク・ヒョンチョル記者
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1984年江原道,華川の陸軍部隊内で疑問死したホ・ウォングン(当時22)一等兵が国防部発表とは異なり、部隊員が撃った銃に撃たれて亡くなったものであり、部隊員らと憲兵隊が事件を自殺に操作したという裁判所判断が出てきた。大統領所属疑問死真相究明委員会(疑問死委)と国防部特別調査団が各々他殺と自殺という相反する結果を発表し衝突したこの事件の実体に対し司法府が下した初めての判断だ。
ソウル中央地裁民事合議36部(裁判長 キム・フンジュン)は3日、ホ一等兵の遺族が国家を相手に出した損害賠償請求訴訟で、彼の死を他殺と規定し遺族に9億2000万ウォンを支給せよと判決した。裁判所は「種々の証拠を総合すればホ一等兵は1984年4月2日夜明けに銃に当たって死亡したが、誰かが銃を撃ったか、或いはさからうことのできない状況で本人の意志と関係がなく銃が発射されたものと見られる」とし「どちらであろうが所属部隊軍人により他殺されたと判断される」と明らかにした。
代表的軍疑問死であるこの事件に対し疑問死委は2002・2004年の2度の調査を経て、ホ一等兵が他殺されたと発表した。遺族は事件後からM16小銃で自ら3回銃撃を加え自殺することは不可能だとし、真相究明を要求した。これに対抗し国防部は特別調査団の調査を通じて「中隊長の苛酷な行為に苦しめられたホ一等兵が当日午前10時頃、胸に2発,頭に1発を銃で撃ち自殺した」とし「右胸に先に銃を撃ったが致命傷を受けなかったため左胸と頭にも撃った」と主張した。
しかし裁判所は夜明けに最初の銃撃にあったが、その日午前10時頃、2発の銃撃が追加で加えられた点、所属部隊が事件操作・隠蔽に積極的にでた点などが他殺の強力な情況だと説明した。裁判所は 「事故直後に大隊長と中隊長,保安隊下士などは事件を自殺に仕立てることで意見をまとめ、中隊員らに水清掃をさせ死亡の痕跡を消した」とし「中隊長はアリバイを作るために普段はしたことのない鉄柵巡回査察を行い、その間に中隊員の一部はホ一等兵に計2発をさらに撃ち自殺に偽装したと判断される」と明らかにした。
だが裁判所は誰がホ一等兵を殺害したかは特定できなかった。先立って疑問死委はノ・某中佐がホ一等兵を亡くなるようにした後、何者かが追加銃撃を加えたと発表した。裁判所は「ノ中佐が酒に酔い暴れまわったことはあるが、銃を撃ったと見るには難しく、誰が銃を撃ったのかは関連者らの陳述が交錯しており証拠が不足し判断が難しい」と説明した。
2期疑問死委は2004年7月「特別調査団が他殺の可能性を直接後押しする陳述と資料をわざと脱落させた」と明らかにし、資料を入手しに行った疑問死委調査官に軍捜査官が銃を撃ち脅迫したと主張し国防部と衝突もした。
ホ一等兵の父親ホ・ヨンチュン氏は「息子が死んだというのに裁判に勝ったからと祝いを受けたり所感を言う心境ではない」とし「無念の死が事実通りに明らかになるよう国家がもう少し出てくれることを願う」と話した。 パク・ヒョンチョル記者 fkcool@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/402696.html 訳J.S