「30年前に水曜デモを始めたあの時の信念と情熱を再び感じます。デモを始めた時は、すぐに終わるだろうと思っていました。このように30年も続くとは思いませんでした。今日、若い女性人権運動家の仲間たちを見て、本当に感激しています」
5日正午、ソウル鍾路区(チョンノグ)の平和路。旧在韓日本大使館前の平和の少女像の近く。この日、30周年を迎えた「第1525回水曜デモ」を訪れた第1世代の女性人権運動家ユン・ヨンエさん(79)は、集会場所の一角に立てられた「1992年1月8日第1回水曜デモ」の様子を写した写真を指差した。ユンさんは「これが私」と言って笑った。ユンさんは1991年に被害を受けたことを世に初めて証言した故金学順(キム・ハクスン)さんとともに水曜デモを始めた女性人権運動家だ。
水曜デモは世界でも類を見ない超長期にわたる平和デモで、毎週記録を更新している。この日の集会には青年人権運動家たちや頭の白くなった第1世代の運動家、市民など200人あまりが集った。参加者たちは30年間続いてきた平和の旅路を祝い、今後も変わらず日本軍性奴隷制問題の解決に取り組んでいくことを誓った。この日も参加者たちは、いつもの水曜デモのように「30年間の叫び、公式謝罪 法的賠償」と記されたプラカードを持って日本政府の謝罪を求めた。
歴史的な日ではあるが、正義連は少女像のすぐ前では水曜デモが行えなかった。2020年5月から極右団体が少女像前の集会場所を先取りして対抗集会を行っているからだ。この日も、自由連帯を含む極右団体の20人あまりの会員が「慰安婦は嘘」と叫んだ。極右団体に1年以上苦しめられてきた「日本軍慰安婦被害者支援団体ネットワーク」はこの日、集会に先立ち、「水曜デモの現場で人権侵害、暴力、憎悪を放置する警察を糾弾する」として、国家人権委員会に救済措置を要請する陳情書を提出した。
水曜デモは、1991年8月14日に故金学順さんが初めて「慰安婦」被害を証言したことを受け、1992年1月8日に韓国挺身隊問題対策協議会(現在の正義連)の30人あまりのメンバーが在韓日本大使館前で集会を開いたのが始まり。1995年の阪神淡路大震災を除けば30年間、毎週欠かさず開かれている。世界最長期の集会だ。新型コロナウイルスが拡散して集会が制限された時も、水曜デモは1人デモのかたちで続けられた。
この日、コロナのために集会に来られなかった「慰安婦」被害者たちは、映像を通じて参加者たちにメッセージを送った。イ・オクソンさん(95)は「(参加者は)雨が降ろうが雪が降ろうが地べたに座って(デモを)しなければならなかったから。水曜デモに参加した人たちは大変苦労した」と話した。イ・ヨンスさん(94)も「参加して話をする方たちを30年間見ていると、とてもありがたかった。それでも、今だに日本はあのように妄言を吐いている。国連拷問等禁止条約を通じて慰安婦問題を解決しなければならない」と述べた。舞台に立ったイ・ナヨン理事長は「30年の間、恥辱と痛みは連帯と愛の力で癒され、全世界の市民は植民地主義、帝国主義に抵抗し、被害生存者たちが切り開いてきた旅路を共に歩んできた。日本軍性奴隷制問題が解決されるその日まで、変わることなく平和路に立って叫んでいく」と述べた。文在寅大統領はこの日、「勇気を出して日本軍慰安婦問題を世に知らしめ、また第1525水曜集会に至るまで長きにわたって行動を共にしてくださった方々、本当にご苦労された」と感謝の意を表した。大統領府のパク・キョンミ報道官が明らかにした。