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[寄稿]日本帝国主義の犠牲になった「独島アシカ」

登録:2021-03-11 08:53 修正:2021-03-11 10:07
[アニマルピープル] チャン・ノアの消えていく動物たち
日本アシカと横浜ランドマークタワー、76x57cm、紙に水彩、2019//ハンギョレ新聞社

ニホンアシカ:1970年代に絶滅 
横浜ランドマークタワー:295.8m、横浜、日本

独島は誰のものか。日本なのか、韓国なのか。その実態は私たちの日常的な判断とは異なる。そもそもこの島の主はそこに棲んでいたアシカという海洋哺乳動物だった ― チュ・ガンヒョン『独島アシカ絶滅史』より

 アシカは哺乳綱食肉目鰭脚亜目(鰭脚類)アシカ科の海洋哺乳類で、主に韓日両国の環東海圏域に生息している。独島(ドクト)に大規模に群集して生息していたため、独島アシカという名称として知られているが、世界の学界にはニホンアシカ (Zalophus japonicus)として登録されている。

 ニホンアシカを含め、カリフォルニアアシカ、ガラパゴスアシカの3亜種がある。二ホンアシカはその中でも体が一番大きい。黒褐色の雄の体長は2.3~2.5メートル、体重は450~560キログラムに達する。雌はそれより小さく、子ども同様に黄褐色だ。最大30年間生存した記録があり、天敵はシャチとサメだ。

 日本各地に生息していたアシカは、19世紀末から20世紀初頭にかけて徐々に姿を消した。狩猟を禁止した江戸時代と違い、明治時代の政治混乱期には保護策がまともに行われなかった。独島アシカに注目した漁業者の中井養三郎は1904年、独島領土編入や借用請願を日本政府に提出した。アシカの密猟と乱獲を防ぐためという名分だった。当時、日露戦争中だった日本はこの請願を契機として1905年2月22日、独島を秘密裏に島根県に編入し、アシカ漁猟独占権を承認した。ロシア艦隊を監視するための見張り小屋と通信施設も無断で設置した。

二ホンアシカ、紙に鉛筆、2019//ハンギョレ新聞社

 独島アシカの虐殺が本格的に始まった1904~1913年に約1万4000頭あまりが犠牲になった。皮で帽子のつばやカバン、リュックサック、タバコの葉箱、防寒用具などを作り、皮下脂肪から油を取り、肉は火を通して乾燥させ肥料に使った。動物園やサーカスに売るために生け捕りにしたこともあった。

 1900年代初めは年平均約1300~2000頭捕獲されていたアシカは、1916~1928年には100~300頭に急速に減少した。1933~1941年には年間16~49頭と絶滅寸前の希少種となった。アシカ漁は第二次世界大戦の勃発で中止され、日本の動物園で飼育されていたアシカは戦争中に餌不足で死んだ。1951年、生き残った独島のアシカは50~60頭に過ぎなかった。

 1974年と1975年に目撃された個体を最後に、アシカはこの世から姿を消した。1994年には国際自然保全連盟が二ホンアシカの絶滅を宣言した。現在、剥製の標本や映像など、珍しい資料の大半を日本が所蔵している。日本は絶滅直前の1886年にも島根県で捕獲したアシカを剥製にして保管した。オランダのライデン自然史博物館に剥製標本3点があり、英国の大英博物館に毛皮1点と頭蓋骨4点がある。韓国国内には一点もなく、資料もほとんど残っていない。

 1741年、北太平洋のコマンドルスキー諸島で初めて発見されたステラーカイギュウは、皮と油を目当てに押し寄せた猟師たちによって最後の1頭まで殺された。1768年に人間に発見されてからわずか27年後のことだった。体長8~9メートルに達する巨大な動物だが、この上なくおとなしいステラーカイギュウは抵抗もなく、銛で突かれ、静かに死んでいった。独島のアシカも皮と油のために数十年で希少種になり、最後の生息地、独島で最期を迎えた。

 1895年の記録によると、独島のアシカは船に乗って近付いても逃げることなく、素手で捕ることができたという。天敵のいない島で平和に暮らしていたトドやステラーカイギュウのように、警戒心がなかったようだ。ところが、乱獲で希少種となった日本による植民地時代末の証言は違う。見張り役の大きなアシカが船乗りを見て大きく鳴き声をあげると、まわりのアシカが逃げていったという。日本では「海驢(あしか)の番」という言葉があるが、寝ずの番を置くことを意味する。

 当時、日本のアシカ漁の記録を見ると、子どもを産んで乳を飲ませて育てていたこのおとなしい海洋動物を、ひたすら皮をむいて油を搾取する対象としかみなしていなかったことが分かる。保護の目的も永久なる利益保全のためだった。

 独島のアシカを絶滅させた日本の漁師たちの姿は、他の国を侵略し、人々を殺し、強奪した日本の帝国主義の姿と重なる。アシカは絶滅した後も、安らぎを得ることなく、独島の領有権紛争に召喚されている。日本は過去の独占的なアシカ漁を独島領有権の根拠として示し、絶滅の責任を韓国に転嫁すると共に、アシカ物語を絵本として制作し、子どもたちに偽りの歴史を教えている。

 わが民族は海と山で暮らしていた動物を、無慈悲に虐殺したり搾取したりはしなかった。アシカも、ヒョウも、トラも日帝強占期(日本の植民地時代)に希少種になり、消えていった。歴史にもしもはないというが、日本の侵略がなければ、アシカは今も独島の主として生きているだろう。

チャン・ノア|画家 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/animalpeople/wild_animal/986159.html?_fr=mt3韓国語原文入力:2021-03-10 11:46
訳H.J

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