4月7日の再・補欠選挙の惨敗の責任をめぐり、与党共に民主党の議員と党員の対立が爆発している。議員たちは、文在寅(ムン・ジェイン)大統領と党指導部が、これまで検察改革に過度にこだわり民間経済を疎かにしたために選挙で負けたと、連日反省文を書いている。党員たちは、検察改革の局面で保身を図った議員が、選挙敗北にかこつけて“内部射撃”を始めたと糾弾している。
衝突の直接的な原因は路線の違いとみられる。それが全部だろうか。そうではない。本質は政党構造の変化にある。党指導部と国会議員が持つ政党の主導権が党員に移ったからだ。
少し説明が必要だ。これまで韓国の政党の主人は総裁だった。政党を作ったり、他の政党と統合し政党をなくしたりした。公認選びと政治資金で党内の権力を独占した。総裁が死ねば政党も消えた。
李承晩(イ・スンマン)の自由党、朴正煕(パク・チョンヒ)の共和党、全斗換(チョン・ドゥファン)の民正党、盧泰愚(ノ・テウ)の民自党、金泳三(キム・ヨンサム)の統一民主党→新韓国党、金大中(キム・デジュン)の平民党→新政治国民会議→新千年民主党、イ・フェチャンのハンナラ党だった。そこまでだった。
現在の政党には総裁という役職そのものがない。それならば政党の主人は誰だろうか。党員だ。政党により少し違いはある。野党「国民の力」は、まだ党員に全ての権力を渡してはいないようだ。
しかし、共に民主党と正義党の主人は確実に党員だ。党員が指導部を選び、公職選挙の候補を選出し政治資金を配る。重要な意思決定も党員が行う。共に民主党は、昨年の総選挙を控え、衛星政党である共に市民党の立党の可否、ソウル市長と釜山市長の公認出馬の可否など重要な決定の過程で党員の意志を問い、それに従った。
権限の行使には責任がともなう。総裁が主人であるなら、選挙敗北の責任は総裁が負えばよい。党員が主人であるなら、どうすればよいだろうか。
答は簡単ではない。党員が責任を負うことはできないからだ。党員がいない政党は存在できないからだ。党員が討論と論争を経て集団知性を発揮して困難を克服し、方向を修正していくしかない。
共に民主党の議員が、党心(党の理念)よりも民心(国民感情)を強く意識するのは、むしろ当然のことだ。選挙で多数を確保できなければ野党に転落するからだ。共に民主党の議員には、来年3月9日の大統領選挙と6月1日の地方選挙で敗れ、さらに先の2024年の国会議員総選挙で自分が落選するのではという恐怖がある。
一方で政党の主人である党員が、党の中心的な価値と政策路線を守らなければならないと党所属の国会議員に要求するのも当然なことだ。政党は、政権を獲得する組織であると同時に、価値と政策を実現するための組織であるからだ。
共に民主党の党員たちが特に強い改革指向を持つようになったのには経緯がある。2015~2016年にアン・チョルス元代表が文在寅代表と対立し離党する姿を見て怒った支持者たちが、大挙して共に民主党に入党した。彼らはろうそく革命の主役であり、共に民主党の大統領選候補の予備選挙や大統領選挙の過程で文在寅大統領と共に民主党を堅固に守り抜いた。 民主党の本当の主人だ。
では、今からどうすればよいのだろうか。共に民主党の国会議員を務めた「ザ未来研究所」のキム・ギシク所長は8日、KBSの「チェ・ギョンヨンの最強時事」に出演し、このような意見を出した。
「現在の共に民主党が直面するもう一つの危機は、党の理念と国民感情との間のずれが大きくなったということだ。党の情熱的な支持者は、検察改革などをさらに推し進めるよう要求する。国民感情としては、検察改革もよいが、生活の問題が今大変で死にそうなのに、なぜ自分たちの課題にばかりこだわり、国政を無理に運営するのかという世論が強い」
「少し抽象的ではあるが、今後の共に民主党の最も重要な課題は、党の理念と国民感情の間のずれをどう統合させていくのかだろう」
正しい処方だ。政治は国民感情に勝てず、経済は市場に勝てない。共に民主党は、党の理念と国民感情を一致させてこそ、信頼回復が可能だ。それでこそ、来年の大統領選挙に乗りだすことができる。大多数の国民の信頼を回復できなければ、誰が候補になっても大統領選挙で勝てない。もしかすると、今はもう少し激しく論争し戦わなければならない時なのかもしれない。