本文に移動

初の韓国・ソ連首脳会談は「太白山」の暗号名で極秘裏に推進された

登録:2021-03-30 04:05 修正:2021-03-30 08:19
ソ連側「会談は駐米大使など3人だけが知っている」
1990年6月4日、米サンフランシスコのフェアモントホテルで、盧泰愚大統領とソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が初の首脳会談を行った=資料写真//ハンギョレ新聞社

 1990年6月4日に米サンフランシスコで行われた史上初の韓国‐ソ連首脳会談は、盧泰愚(ノ・テウ)大統領の指示を受けた政府が「太白山(テベクサン)」という名の下に2カ月にわたって極秘裏に推進した末に実現させたことが明らかとなった。今年機密が解除された1990年度の外交文書で確認された。

 外交部は29日、30年が経過して機密が解除された1990年度外交文書2090冊(約33万ページ)を原文解除要約本とともに一般に公開した。今年公開された外交文書で最も関心を集めたのは、冷戦解体の流れに乗って韓国外交史を画した盧泰愚(ノ・テウ)政権の北方政策だった。同政策は1989年のハンガリー、ポーランド、ユーゴスラビアなどの旧東欧社会主義国との国交正常化を皮切りとして、1990年にはソ連との、1992年には中国との歴史的国交樹立へとつながった。

 韓ソ国交樹立の決定的な瞬間を作り出した韓ソ首脳会談は、1990年4月7日の盧大統領の指示によって推進が開始された。ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が韓米首脳会談直後の5月30日に、米ソ首脳会談のために訪米するという情報が入った後だった。ソ連は1988年に、内部で韓国との関係改善を決定していたが、結ばれたのは領事関係のみで、国交樹立までには至っていなかった。首脳会談の推進過程も順調ではなかった。しかしソ連は5月中旬、「6月4日の会談」に同意し、その後アナトリー・ドブルイニン大統領外交顧問を韓国に派遣してこれを公式に伝え、本格的な協議を開始した。

 外交文書によると、韓ソいずれも1990年5月31日の韓ソ首脳会談開催発表前まで、セキュリティーに極度に気を使っていた。韓国側は「太白山」という名称のもとに会談を準備した。ソ連駐米大使館のクトヴォイ公使は韓国側に、その時まで自分とドブルイニン顧問、ドゥビニン駐米ソ連大使の3人だけが会談に関する日程を知っていたことを明かした。外務部は「韓ソ首脳会談に対する合意が最後の瞬間に劇的に成立し、ソ連側が米ソ首脳会談終了時まで完璧なセキュリティーを要求」したという評価を残している。

 韓国とソ連は首脳会談から4カ月後の9月30日に国交を樹立した。外交文書によると、両国が当初合意していた1991年1月1日ではなく、その日に国交樹立を前倒しした背景も確認できる。その日ニューヨークの国連本部で開かれた韓ソ外相会談で、チェ・ホジュン外務部長官は「我々が初めて会談を行う日に直ちに国交を樹立すれば、より意義深いものとなる」と当日の国交樹立を提案し、ソ連のシェワルナゼ外相も同日に国連で開かれた「子どものための世界サミット」に言及して同意した。韓ソ国交正常化に北朝鮮が反発したことも、外交文書の複数の箇所から確認できる。実際、韓ソ国交正常化以降、朝ソ関係は急激に冷え込んでいる。

キム・ジウン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/988659.html韓国語原文入力:2021-03-29 16:36
訳D.K

関連記事