原文入力:2009-12-20午後11:55:12
安定寺 大雄殿 後方から
ユン・ヨンミ記者,シン・ソヨン記者
←往十里 寺刹撤去中 朝鮮後期 磨崖仏 発見
ソウル,城東区,下往十里洞の寺刹,安定寺で朝鮮末期様式の磨崖仏(写真)と仏像が発見された。
ファン・ビョンウ韓国文化遺産政策研究所長は「安定寺大雄殿を撤去する過程で、大雄殿後方の岩壁厨子から朝鮮後期様式と見える磨崖仏坐像と近代時期の仏像を発見した」と20日明らかにした。現場を調査したイ・テホ教授(明知大美術史学科)は「安定寺磨崖仏は朝鮮末期に仏教と民間信仰が結びついて現れた典型的な磨崖仏様式であり、そのそばに彫られた銘文の‘南無山王大神之位’から見て、山神閣を代替した山神信仰の対象として造成されたようだ」と話した。
イ教授は「朝鮮末期磨崖仏様式をよく示す貴重な文化遺産であり、山神を童子の姿で表現したのは美術史的にも非常に大きな価値がある」と付け加えた。磨崖仏が彫られた厨子は横約1m,縦約40㎝,深さ30㎝程度の大きさで、1943年に大雄殿が建てられた後、66年間屋根で覆われており保存状態が良好な方だ。
新羅,興徳王2年(827年)に創建されたと知られる安定寺は朝鮮時代に無学大師(1327~1405)が建立し、ここで7日間祈った後に観音菩薩の化身に接し景福宮の場所を定めたという伝説が伝わる寺刹で、2005年に建設会社に売却された後アパート建設のために撤去が進められている。ファン所長は「ソウル市と文化財庁が安定寺の価値を再検討し磨崖仏に対する調査を始め、今からでも安定寺と遺物の保存に出るべきだ」と主張した。
ユン・ヨンミ記者youngmi@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/394466.html 訳J.S